2010-09-02(木) [長年日記]
■ ドーラ、虫下しを飲まされる
ドーラが最初のワクチンを打ちにいったとき、寄生虫(回虫?)がいることが発覚。どうりでなかなか太らないと思ったわ。さすが野良というかなんというか。その場で虫下しの薬を飲まされたのだけど、まだまだ痩せっぽちな感じが否めない。食い意地だけは張っているのだけど。
というかグスタフの餌を食べたがって困る。ドーラに首をつっこまれると餌を譲っちゃうグスタフもどうかと思うけど……。
で、昨日2度目の虫下しを投与したのだけど、今日のトイレにはピクピク動く回虫が!(写真はありません) これで全部出たのならいいんだけどなー。
2010-08-31(火) [長年日記]
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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(岩崎 夏海)
この本の存在を知ってすぐに読んでみたいとは思っていたんだけど、買いそびれているうちにあれよあれよとベストセラーになってしまった。で、ベストセラーは買わない主義なんだけど、部下が貸してくれたのでポリシーを曲げずに読むことができたよ、ありがとう!
本来の意味でのマネージャーと、日本での「マネージャー」の違いを逆手にとったアイデアの勝利だけみたいな本なのはわかっていたけど、なんというか、本当にそれだけの本だった。元ネタがドラッカーのエッセンシャルだとすれば、この本はいわば「架空の導入事例」で、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、こういう本がベストセラーになってマネージメントの本来の意味を多くの人に知ってもらえたのはいいことだ。
なによりも重要なのが、本書に出てくる「マネージャー」が最初からマネージャー職としてこの仕事についている点だ(途中、専門職からスキルチェンジしてくる人物がいるけれど、それも彼の特性を見極めた上だ)。つまり、マネージャーは「マネージメント」をする専門家がつくべき仕事であるという描かれ方をしている。
一方、日本でのマネージャーは多くの場合、経験をつんだ専門職がステップアップする先だが、ステップアップとは名ばかりで過去の専門知識が生かせない、いわば「転職」を強いている。結果、日本の多くの企業では本書が説く「強みを活かす人事」とは正反対の人事が行われているわけで(結果としてその企業の競争力を削いでいる)、読者の中にそういう日本の組織のおかしな点に気づきがあるといいなぁと思う。マネージャーは「偉い人」ではないんだよ。
ひるがえって小説としては、しょうもないというか、「ベストセラーってたいていこういう本」というイメージのままだった。文章はつたなくて出来の悪い英語の教科書みたいだし*1、ストーリー展開も丸分かりすぎて、読書体験としてはお粗末極まりない。なにしろ「失敗が大切」みたなことを書いてるわりに、ほとんど挫折らしい挫折もない一本調子の話なので、盛り上がりに欠ける*2。
ドラッカーをベースにはしていないけれど、高校野球にマネージメントを持ち込んでいるという意味では『おおきく振りかぶって』の方が成功もあれば挫折もあって話として面白いのでオススメ(マネージメントをするのは女子マネではなくて監督と顧問だけど)。なによりも本書では省かれている「組織が目標を共有する」場面がきちんと描かれているのが素晴らしい。
2010-08-30(月) [長年日記]
■ 個人的なRubyKaigi2010総括と「最終回」について
クロージングで高橋さんが「次回最終回!」とやったもんだから、各所で議論が巻き起こっているわけだが、おれもちょっと書いておこうかな。あくまで個人的なもので、実行委員の総意でもなんでもない。
自分はまだ「RubyKaigi」と正式に名乗っていなかった初回の2006年にスピーカーとして参加。そのあとは実行委員に加わって、2007、2008、2009そして今年の2010と都合4回のスタッフとして関わった。まずはその5年間の変化をみてみたい。
懇親会で料理が余るようになった
2006年、2007年あたりの感想を探してみるとわかるけど、開始当初はホントにもう、あっというまに懇親会の料理がなくなってた。「Rubyistは酒もタバコもやらないけどやたらと食う」と認識した我々は、一昨年のつくばで「質を落としてもいいから量を出す」方針で懇親会を設計し、みごとに多量の料理を余らせたのだった。
そんな反省も踏まえて、適切な量と味を提供した今回の懇親会がどうだったかというと、これまた余ったわけだ。高井さんのパーティ設計がよくできていることはもちろんだが、どうみても食わずにおしゃべりしてるようにしか見えなかった。
つまり、懇親会に来てみたもののたいして知り合いがいないものだから、手持ち無沙汰な時間を食うことで消費していたシャイなRubyistたちが、おしゃべりに忙しくて食うことも忘れるようになった。これが5年間の変化。
「会議」が「講演」にとってかわった
一昨年のつくばで、初めて本格的にインターネット中継を開始。これに対して「有料参加者と(自宅で中継を見ている)無料参加者が同じコンテンツにアクセスできるのはどういうわけだ」という批判があった。ネット中継があたりまえのこんにちからすれば笑い話だが、これを真面目に受けて「わざわざ(身銭を切って)現地に足を運ぶ価値はなにか」を考え直した。
最終的に「一箇所に集った人たちと直接会って話をすること」そのものが価値だという(ありきたりな)結論になったわけだけど、これはつまり、ホールでの講演そのものは「おまけ」ということだ(大事なのはそのあと)。だから無料で中継しちゃう。「Lightning Talksは懇親会の直前にする」という2007年から始めた慣行も、「講演した人は話しかけてもらいやすい」から、できるだけ多くの人に「話す」きっかけを持ってもらうためだし、実は以前からこのあたりにブレはない。
で、それを受けて始めてみたのが2009年の「企画部屋」だ。単に廊下で立ち話ではなくて、ちゃんと場所をとって目的をもった議論をしてもらう。これぞ「会議」ではないか。
これがほとんど告知をしなかったにも関わらず好評だったので、今年は大々的に展開してみたら、むしろホールよりも集客してしまったという。実際どの企画も面白かったようだし*1、一部を除いて中継もされてないから、まさに現地に足を運んだ人のためのイベントになった。
ただ、これを2006年や2007年にやってもお寒い状況になったのは想像に難くない。つまりこの5年で、Rubyistたちは企画部屋を盛況にさせられるだけのスキルと社会性を身につけたわけだ。
おまえらはもう、十分につながったよ
(おそらく)リアルなつながりを求めて始まったRubyKaigiは、そんな参加者たちのスキルアップと歩調を合わせながら、一緒に進化してきたわけだ。RubyKaigi2010で、Rubyistたちはもう十分につながった。これ以上続けていると、混じり合って集合意識になっちまう。
いまだにアンケートなどには「内輪すぎてなじめなかった」的な感想が寄せられることがあるのだけれど、1日あたりの参加者が数百人もいて、しかも毎年規模が拡大しているのに参加者の9割が満足する「内輪の集まり」とか、ありえないから*2。つまりこれは、内輪ではないけどみんなつながってるという稀有な状態なのだ。
ここまできたらもう、次のステップに進まないといけない。だから今のスタイルの継続という意味では次で最終回なのだ。
「次があるとしたら」について考えるなら、ポイントはこの「つながってる状態」を利用して何ができるかでしょう。なにしろ、いまだにリファレンスマニュアルプロジェクトの進捗が遅々としていたり、ruby本体のバージョンが0.0.1あがるのにえらく時間がかかってたりするわけで、せっかくつながってんのに色々ムダになってるんだから。
RubyKaigiは、Rubyコミュニティに新しい状態をもたらして死ぬのです。生まれ落ちた子供たちには、親とは別のミッションがあるのです。
ところでRubyKaigiを殺したのは誰か
クロージング後のIRCのログより:
kaz_japon: これも、たださんデスノート伝説の新たな一ページ
unak: そうか、tdtdsか...
okkez: デスノートおそろしす
tdtds: おまえら……
ま・た・お・れ・か。
じゃあしょうがない。責任をとって、次回のRubyKaigiではスタッフではなく一般参加者として参加するよ。
まぁ冗談は抜きにして、2006は発表後体調が悪くてあんまりちゃんと参加してない(懇親会も出てない)し、その後はずっとスタッフだったので聴きたい講演も聞けず、参加したい企画にも行けずという状況が続いていたものだから、最後くらい普通に聴きたいものを聴いて、参加したいものに出席したいな。たぶん、スタッフとして参加する方が何倍も充実感はあるのだろうけれど、一度くらいは、ねぇ。
![[写真]スタッフ集合写真。最終日の朝。 [写真]スタッフ集合写真。最終日の朝。](https://userimages.tdiary.net/sho/20100830_0.jpg)
写真はいつものように高井さんのPhotoSetから。
◆ ぁ [夢路行さんの漫画「ねこあきない」の3巻付近でも、先住の大人ネコが後から来た子猫に常にえさを譲ってしまう回があり、「大..]
◆ ただただし [そういうものなんですか。でもグスタフは大人なのかなぁ。]