2007-11-03(土) [長年日記]
■ ナビスコ杯決勝: 川崎 0-1 G大阪@国立競技場
川崎にとって、ナビスコの決勝は二度目。前回は鹿島に優勝を奪われたが、そもそも決勝進出が奇跡のようなものだったので悔しさはそれほどでもなかった。しかし今年は実力が伴っての決勝だ。(選手もサポーターも)今年は獲る! という意欲満々で国立競技場に臨む。
観客席はほぼ満席の約4万人。真ん中できっちり左右に分かれて座るサポーターたち。前回はたしか全部で2万人くらいしかいなかったはずなので、自前で2万人集められるくらいに成長したってことだよなぁ。それにしても一発勝負のカップ戦決勝で、チーム間の緩衝地帯がゼロって、いくらなんでも日本平和すぎだろ(笑)。
試合は、序盤から川崎が押しまくる展開だったが、ちっとも点が入らない。ケンゴが異常なほど張り切っているし、テセはこないだのハットトリックの勢いをそのまま維持している感じだが、両チーム無得点のまま前半終了。そのまま得点の匂いがどんどん薄れていく中、ガンバがかなりラッキーな形で得点し、終わってしまった。うわぁぁん、またガンバに目の前で優勝された!(涙)
表彰式で川島が、準優勝のメダルを受け取った直後、むしり取るように首から外した姿に、本気の悔しさを感じて泣けた。その行為は次々に伝染し、バックスタンドに挨拶に来たときには誰もメダルを下げていなかった。悔しいよなぁ、どっちが勝ってもおかしくないカードだったわけだし。……あ、谷口だけはぶら下げてたけど、彼は空気の読めないコなので勘弁してやってください。
傷心のまま千駄ヶ谷方面に歩き、かみさんのサッカー関係仲間が集まってるカフェで一服。特にどちらのチームにも思い入れのない人たちとわりと客観的な話をする。長くサッカーを見ている人たちなので、参考になるなぁ。
まぁ、冷静に考えれば、まだまだ実力はガンバが上だったと思う。いっけん川崎が押しまくっているように見えた前半も、クリアボールはことごとくガンバに取られていたし、ジュニーニョもオフサイドを取られまくりだ。絶好のチャンスはちゃんとつぶされていたように思う。あと、「なんで(こないだのFC東京戦で活躍した)河村じゃなくて大橋なの?」って聞かれたけど、別に大橋は悪くないし。セットプレイの精度はピカイチだから、何度もあったコーナーキックで得点できていれば評価は違っただろうし。
2007-11-02(金) [長年日記]
2007-11-01(木) [長年日記]
■ ある草の根BBSに舞い降りた色白の美少年の話 〜itojunの思い出〜
かれこれ二十数年前の話になる。
東京・蒲田に、ADD-Netという草の根BBSがあった。日本国内のパソコン通信サービスとしてもかなり草分け的なホストだったはずだ。当時はまだ電話料金が従量制で、国内でやっと2400bpsのモデムが出始めた時期に、当たり前のように海外から9600bpsのモデムを取り寄せて使うような人が集まるコミュニティだったので、それなりに裕福な大人たちが主なメンバだったが、どういうわけか10代の少年がやたらと多かった。
そんな中でもとりわけ若い、色白の美少年がいた。たしか入会当時は中学生。年の割には生意気な口をきくが、ADD-Netに出入りするティーンエイジャーはほぼ例外なくクソ生意気な連中ばかりだったのであまり問題にはならなかった。それよりも、常識があって礼儀正しく、社交性も高かったので、大人たちからもけっこうかわいがられていたように思う。彼のIDは「itojun」。当時から「いとぢゅん」と名乗っていた。
小学校から慶應に通っていたくらいなので裕福な家庭だったのだろう。かなり早いうちからUNIXワークステーションをいじるような生活をしていて、ハッカーの片鱗は当時から見せていた。技術にも明るかったが、ADD-Netではむしろ、アニメや映画、マンガなどの話題にからんでいることの方が多かったように記憶している。なんにでも楽しそうに接する少年だった。
インターネットが普及して、パソコン通信サービスがばたばたと店じまいをする中、ADD-Netも例外ではなくその役割を終えた。当時のメンバも散り散りになってしまったが、itojunとはなぜか細々とした関係が続いた。とはいえ、二人ともプログラマになったものの専門分野が違ったので、IT系の話はまったくなく。おれが運営するスーパーカブのMLにはだいぶ初期の頃から参加していて、最近も古いC105を入手してレストアしていたり。
リアルで会うことは10年以上なかったが、今年になってひょんなことからGoogleで会った時には、かつての美少年はどこへやら、ひげ面のむさい男になっていたのには驚いたものだった。誰だかひと目ではわからなかったくらい。でも、その目の輝きは当時からまったく変わっていなかったのだけれど。
それがトリガーになったのだろう、この夏のワールドコンに引きずり込まれたいきさつなどはすでに日記に書いたとおりで、いわば「itojun最後のプロジェクト」で、同じチームで働く機会を持つことになった。IPv4の設定に失敗したりと、いかにもitojunらしいポカには笑ったが、ワールドコンのネットワークがまがりなりにも使い物になったのは、その人脈も含めて考えるならほぼ100%、itojunの働きによるものだ。これですっかりSF大会にはまったitojunは、もう来年のデンバーに行く計画も立てていた。
技術的にはいっさい妥協することのない技術者の鑑のような男だったが、かといってナードにありがちな内向性はなく、持ち前の人当たりの良さもあって、誰とでもすぐに仲良くなれる社交性豊かな男だった。この世界にいれば、両方の資質を兼ね備えた技術者がどれだけ貴重かわかるだろう。
彼の残したものの大きさは、わざわざ語るまでもない。今回の訃報に、ネット上では「itojunさん」どころか「itojun先生」と呼ぶ人が多くて、ずいぶん立派になったものだといまさらながら驚いた。だが、おれの中では、itojunはいまだかわいい中学生のままなのだ。
昨日はもう、仕事に没頭するくらいしか気を紛らわす方法がなかったけれど、今日はだいぶ落ち着いたので昔の思い出を書いてみた。尻切れトンボになってしまったが、これ以上書くのはつらいので。
追悼用BGMは『トップをねらえ!』のサントラ。当時、このアニメにはまったおれとitojunは、サントラを買ってきて「この曲がかっこいい」だの「この順番でかけると燃える」とか、そんな話をしていたのだった。あいつ、いまだにガンバスターのTシャツとか着てるしな。それにしても、最後の「元気でね」の歌詞があまりに今の気分に合いすぎて、泣けるナァ。
◆ ただただし [うぉ、こんどはSIDだ。久しぶり。 おれも当時の姿(というか髪)のSIDしか思い浮かばないよ!]
◆ TAKAO [itojunの訃報のリンクでここに来てしまった。 私の記憶では月に何十万か電話代に使ったと 言っていた気がするなあ。..]
◆ ただただし [おぉ、時間差でまた懐かしい人が。 シュワッチさんはどうしてるんでしょうねぇ。本当にタイに住んでるの?]
◆ (o|o)の息子 [なんか全然関係ない検索で引っ掛けてしまいました。 今はもう日本に戻っていますよ。 月に数十万の電話代は聞いた事があり..]
◆ ただただし [おぉ、シュワッチさんの息子さんかぁ。お父さんはお元気ですか? ちなみに当時は「%」一文字だったよね。]
◆ (o|o)の息子 [元気ですよ。髪の毛真っ白ですけれど。 画面が大量のエラーで埋まるのが面白くて、良く見ていた覚えがありますが、「%」..]
◆ a.k [始まったら食した数が表示されるとか?]
◆ ただただし [そんなの、どうやって実装するんだ。はてなスターで報告してもらうとか? まぁ、始まったあとは、終了日までカウントダウン..]
◆ tokoya [終了日までひと口ずつ囓られて、最後は無くなってしまうとか。]
◆ shachi [食いましたタイトルの日記にはてなスターを]