2004-05-01(土) [長年日記]
■ Al Jarreau!!
夕べ、かみさんが急にライブに行こうと言い出したので、17時ごろBlue Note Tokyoへ。Blue Noteは、予約は電話でできるけど、席取りは早めに行って整理券を取らなければならないのだ。
そしたら、入口の前ではしゃぎながら写真を撮ってる外人が……って、本人じゃん!! ぎゃー、今日に限ってCONTAX持って来てねーっ。仕方がないので携帯で撮影。他に来ていた客も、全員携帯で撮っていた。Alは女の子たちと一緒に撮ったりして、実にきさくなジイさんだった。
もちろん、ライブはたいへん楽しかったわけだが。元気な人だよなぁ。さすがに高音は出なくなっていたけど、声量はたっぷり。いくつだっけ? 1940年生まれだから64歳か。えー。
■ 結城浩のWiki入門(2)
結城さんのレスポンスがべらぼーにはやくて焦ったんだけど、そんなこんなで今まで書く暇がとれず。
現在、Wikiの布教者たちがいちばん悩んでいる状況は、こんなのが一番多いんじゃないかと思う。
- Internetですでに運営されているWikiに出会う
- 使いこなすうち、自分は慣れた
- 自分の身近(職場や学校など)で使おうと思い、導入してみた
- しかしなかなか使われない
つまり、職場や学校にWikiを持ち込まれようとするときには、すでにWikiを知っていてインストールできる人は確保済みで、あとはどううまく運用していくか、が課題になることが多い。本屋で偶然見かけたWiki関連書籍を初めて手にとって、「わぁ、Wikiって面白そう!」って思う人は少ないんじゃないか、というのが実感。だから、『Wiki入門』は「布教にうってつけ」と思ったわけだ。布教者と、布教者に影響を受けた人が買う本。
二度寝日記でも指摘されているように、PDFで公開されている第1章はそういう意味で導入には必要十分。特に「プログラマ、サトシの一日」は実にエキサイティングで、Wikiの魅力をうまく伝えている。Wikiを知らない人に、その魅力を伝えるにはいい題材だ。しかし、これで事足りるとは思えない。
そうやってWikiを知る人が増え、ようやく利用が広まってきたあと、次に運営の壁にぶちあたるからだ。いざ問題が起きたときに、先人がすでに体験し、解決したノウハウに簡単にアクセスできたらどんなにいいだろうか。それが第7章以降の役割であり、もっと紙数を割いたほうがいいと指摘した部分である。そしてこのシナリオには、Wikiシステムのインストール解説が必要なシーンが出てこないのもポイントだ。
でも、世界で二冊目のWikiの本(^_^)では、そこまでやるのはやりすぎだ、と結城は判断しました。
という点が、結城さんとおれとの認識の違いなんだろう。この先、(ウェブログ本のように)次々とWiki本が出て、露出が増え続けるなら話は別だけど、そうなりそうな気配はない(実はあったりして?)。だとすれば、Wikiを広めるのはいま熱心に使っている人たちであって、そんな彼らのサポートをする本が、いま一番必要とされているんじゃないかと思うのだ(←もちろん、販売上の戦略はまったく無視した勝手な意見である:-)。
2004-04-30(金) [長年日記]
■
結城浩のWiki入門 ~YukiWikiではじめる みんなで作るWebサイト~(結城 浩)
ようやく読んだ。
まず言えることは、『WikiWay』を読んだ人は必ずしも読む必要のある本ではない。内容的にも、構成も、『WikiWay』とかなりかぶっている。ページ数は『WikiWay』よりも格段に少ないのに、なぜか内容が薄くなった感じがしないのが、結城マジックなんだけど……。「さらりと読める」度はかなり高い。
ということで、『WikiWay』の厚さに挫折しちゃった人が再チャレンジしたり、職場やグループにWikiを広めたいと思っている人が布教のために使うのにはうってつけ。
ただ、『WikiWay』と構成が似ているということは、不満な点もまた『WikiWay』と同じということだ。YukiWikiのインストール(それもApacheやPerlを含む)からカスタマイズまでを、あれだけの紙数を費やして説明する必要があるのか。もっと紙数を割くべき場所があるんじゃないか。
Wikiは設置する人の数と、利用する人の数に大きな差がある。インストールガイドは前者のごく少数の人たちにのみ必要な情報だし、それすら、WikiFarmによってスキップ可能だ。Web上にもたっぷり情報がある。つまり、Wikiの利用者全般をターゲット読者にした場合、このインストール解説は読む必要がない人が多数を占めるだろう(個人Wikiが主要ターゲットなら話が別だが)。
一方、Wikiエンジンはツールの表層的な使い方は単純だが、応用範囲が広いから、目に見えないノウハウがすごく多い。最近のトピックだと、「小人さんはいくらたくさんいてもドラスティックな改変をしてくれない問題」とか、「コメント欄の是非問題」とか。コミュニティへの導入や、その後の運営のノウハウもたくさんある(このへんはたぶん次回のWikiばなで?)。
ちょうど、八田さんがWikiを設置したのはいいもののうまく運営できてないなんて話を読んだりして、実はいま、Wiki周辺でもっとも必要とされている技能はこれなんじゃないかと考えているんだが。Wikiは、設置しただけでうまく活用され始めるほど甘いシロモノではないというのはいまや常識。つまり、『ウェブログハンドブック』のWiki版が欲しい時期にあるわけだ。
もっとも、そういう本を出すのは非常に困難だろうとは予想できる。でも、編集者と友好的な関係を築くことにかけては定評のある結城さんなら(笑)、もうちょっと運用寄りに振った本が出せたんじゃないかなー、と思えてしかたがないのである。
■ ブラウザのホームボタン(2)
つーわけで、思い切ってさらに整理してみた。もう、「戻る」と「進む」だけあれば十分。他の3つのうち「更新」「停止」はもう1年以上押してない気がするし、残る「英日翻訳」ボタン(笑)は、Ctrl+Eに割り当ててしまったのでキーボードから実行できる。
「戻る」「進む」も、それぞれ「Alt+←」「Alt+→」やマウスジェスチャばかり使っているんだけど、これらのボタンはアクティブ状態によって現在見ているページの状態(前の/先のページがあるかどうか)を知るのに必要なので、外せないのである。
2004-04-29(木) [長年日記]
■ 使いたい時に限って不調なsf.net
% cvs up Cannot access /cvsroot/tdiary/CVSROOT No such file or directory
おまけになんか、不穏なメッセージだし……。
■ ブラウザのホームボタン
風博士 0.1.5リリースの記事にあったコレ。
ホームボタンと新規タブボタンをツールバーから削除
新規タブボタンがなんでなくなったのかは知らんけど(きっと風博士的にはなくても困らないのだろう)、ホームボタンをなくすのは大賛成だ。おれのSleipnirにも、(カスタマイズの結果)ホームボタンはない。
以前書いたように、タブブラウザはセッションを記憶しておくべきだから、常に開いているタブはすべて「ホーム」だ。ボタンひとつでどうにかなるものではない。かつては検索サイトをホームにしておく人が多かったが、ツールバーから検索できる昨今、そんなのに意味はない。結局ホームボタンの存在意義なんてとっくになくなっていたはずなのだ。ああいう盲腸を、ばっさり消してしまうのはいいことだよ。
もっとも、おれのSleipnirのツールバーには、そもそもボタンが5つしかないんだけどね。そのボタンもめったなことでは押さないし……。この「5つ」という数字が、風博士の最新screenshootと同じというのは不思議な偶然だなぁ(内容は微妙に違うんだけど)。
◆ yomoyomo [そういう幸運もたまにはアルジャロウ・・・という駄洒落が浮かんだはずだ!]
◆ ただただし [思い浮かんでも、口にしたら負けだよ、おっさん……]
◆ むとぽん [むむっ。私も行こうと思ってたんですよー。 #結局行かないことになったのですが。]
◆ yuco [「Wikiの運用方法についてまとめるWiki」をひとつ作るというのもありかも?]
◆ ただただし [うん、それは「Wikiばな」のサイトでやれるかも、とは思う。 でもそれは「結城さんの本」じゃないんだよねー(笑)]
◆ yoosee [布教段階での紙媒体の重要性は高いですからねぇ。Wiki本を書いたのが結城さんなのが僥倖だと思います。 そして使い始め..]