2014-03-31(月) [長年日記]
■ 父の通夜
これから忙しくなるということで前夜にはたっぷりと寝て、さて今日は通夜である。家族葬なので父方と母方の親戚にしか伝えていないが、父方の高齢の叔父は徳島からやってくるというのでそれだけで大騒ぎ。一方、母方の叔父叔母は多いので出席率が高いとそんなに小規模な感じではなくなる。けっきょく生きてる人間だけでも20名近くになってしまった。
夕方の納棺前に会場に着くと、すでに小さな会場には祭壇ができていて、主要な家からの花が並んでいる。葬儀場の人が飛んできて「会社から花が届いているがどこに並べるか」と聞いてくる。どこにも知らせてないのにいったいどこの会社だよと思ったらおれの会社だった。忌引き休暇のために送った情報使って送ってくるとか、ホント空気読めない会社だよなぁ。名義は社長だけどどうせ機械が送ってきてるだけだろう、サイテー。しょうがないので一番すみっこに並べてもらう。
そんなこんなで納棺の時刻になったので、親族だけで執り行う。まず死装束を身につけるんだけど、足袋や脚絆をつけるのに「縦結びにしろ」と言われて苦労した。というか苦労してしまう自分に苦笑した。ボーイスカウトは結びとして不完全な縦結びをするのを、本能的に避けたがるのだよな。最後に頭につける三角のヤツ(幽霊がつけてるアレ)をどうするか、最近は生前の顔つきと変わってしまうのでつけない場合も多いですよと言われたが、満場一致で親父が生きていたら面白がってつけたがるだろうということになる。
死装束をつけるにあたって、親父の手や足を持ち上げたりするのだけど、さすがに1年以上も入院していただけあってほんとに骨ばかり。細くて軽くて、元気なころはおれに似ずわりとしっかりした体型だったのに、いまやおれよりはるかに痩せちゃってねぇ。それでも変にねじまがったり欠損があるわけでもなく、すっきりまっすぐに寝ているだけマシなのだよなぁ。
納棺が無事済んだあたりで、ぼちぼち弔問客が集まり始める。母方の親戚とはあまり交流がないので、おれが結婚した20年前に会ったきりという人も少なくない。こっちもあっちも歳をとっているので、ひとめで誰だかわからなかったりして。ひとりの叔母など、おれを式場の係員だと思っていたそうだ(姿勢が妙に良くてスーツが板についていればそりゃ係員に見えるだろう、これはおれのせいだ)。そんなわけだから通夜というよりは同窓会っぽい雰囲気で、坊さんとも昔話に花が咲いていて湿っぽさはみじんもない。
読経が始まると木魚の音とともに姪たちはソッコーで寝落ちするし、人数が多すぎて会場からはみ出そうになるし、それでも手慣れた係員(本物)のおかげで滞りなく終了。そのまま食事会に雪崩れ込むが、ここもなんだか現代的で、いちおう順番に料理が運ばれてくるもののスタイルとしてはバイキングで、普通に肉も魚も出てくる。急に献杯のあいさつを振られたせいで、なんだか通夜っぽくないあいさつをしてしまったが、別に浮いてない感じ。
そんなわけで和気あいあいとした雰囲気の中、通夜は終了。遠方からきた客を式場に泊めて、うちの夫婦は実家に泊まることに。なにしろ火葬場の予約が朝イチなので、明日の告別式は9時開始なのだ。
2014-03-30(日) [長年日記]
■ 父、他界する
見舞いから帰って疲れたので早めに寝たら、日付が変わったあたりで実家から電話。枕元に置いた携帯に気づかないくらい熟睡していたので、まだ起きていたかみさんが家電を取ってようやく連絡がついた。いわゆる「チチキトク」である。急いで支度をして車に乗り込む。
家から病院まで1時間くらい。深夜だから道は空いていたが、残念ながらぎりぎり間に合わなかった。誰が悪いわけでもないので残念だがしかたがない。まったく苦しまなかったということで、じっさい死に顔も穏やかなのが救い。弟の嫁さんがちょっと泣いたくらいで、肉親の誰も泣いてないのは、悲しむ暇がないというだけでなく、ようやくつらい闘病生活にピリオドを打てたという安堵感の方が強いからだと思う。
というわけで、このあと数日間は淡々と儀式ワークをこなしていくだけだ。敬虔な無神論者にとってはつらく厳しい数日間となるが(しょっぱなの死に水取りからして面食らう)、まぁ心を空にして臨むしかあるまい。長男だし。
真新しい衣服(といっても服に執着のなかった人なのでただのパジャマ)に着替えた親父の亡骸は、あわただしく黒塗りのワゴンに乗せられて、市内の葬儀場へ。いったん自宅へ、という話もあったそうだが、今回はしめやかに家族葬にすることもあり、深夜に近所に騒ぎをおこさせるまでもないということでパス。入院中もとくに帰宅したがることもなかったし、いいんじゃないのという。なにかと執着にはほど遠い親父である。
面会室に安置して、今日はもう遅いのでいったん解散。スムーズにことが運んだように思えたが、すでに夜明け前である。車で帰宅してそのままベッドへ。
で、9時ごろ起きて、また葬儀場へUターン。11時から通夜・葬儀の打ち合わせ。弟と「(親父は倹約家だったので)消費税があがるまえに死んだんじゃないの」なんて軽口をたたいていたが、どうがんばっても明日が通夜、明後日が告別式にしかならないので、ぎりぎりアウトである。それでも僧侶と火葬場の手配ができて、無事この日程でいくことに。
葬儀場の人はさすがにプロなので、いろんな要求を華麗にさばいていい感じのところにおさめてくれる。とはいえ想像したほど安くはならんな、家族葬。僧侶は昔から母方の家とお付き合いのある方なのでいろいろ気やすく聞けるということもあって、こちらもぶっちゃけた感じで進む。驚いたことに親父は自分で戒名や遺影まで用意してあったのだけど、(遺影が妙に若い頃の写真なのは良いとして)戒名はやたらと位の高い字を使ってるとか、そもそも戒名として使える字が少ない素人仕事ということで、坊さんに苦心してもらっていい感じに組み直してもらう。しっかし、ほんの10文字程度の死後の名前に数十万とか正気の沙汰とは思えんよ。自分の遺産がこんな無駄なことに使われたら、おれだったら嘆き悲しむけどなぁ。まぁお袋がこれで満足ならいいんだけどさ、もうあんたの金なんだし。
弟も「(親父が)一人ではかわいそう」とかいって葬儀場に泊まると言い出す。まさか実の弟がこんなに信心深いとは思わなかったよ。死後の世界も天国も、もちろん魂の存在も信じない無神論者としてはあれはもう単なる物体にすぎないのだが、まぁおまえがそれで満足なら好きにしなさい。おれは帰って寝る。
2014-03-29(土) [長年日記]
■ ふたたび父の見舞いへ
先日からほとんど間がないが、病院から「そろそろやばいかも」という連絡も来ているそうなので、ふたたび見舞いへ。今日はソロ。
酸素吸入もマスクになってるし、そもそも呼吸が浅くて苦しそうだし、たしかにだいぶ悪くなっている。声をかけても薄目を開けるだけで、聞こえてるんだか聞こえてないんだかよくわからない。あとから弟夫婦と孫たちがやってきたが、あまり変わらず。
ホスピスに入ってから多くの人が一ヶ月以内に亡くなると言われていたが、本当にそうなんだなぁ。こうなると少しでも長生きして下さいとはとうてい思えないわけで、これ以上苦しまずに早く楽になって欲しいと願うばかりだ。ほんとうに苦しそうなんだもん。