2012-03-07(水) [長年日記]
■ 「後世に残る」のは紙か、電子か。
偶然だと思うが、「本(や資料)を後世に残す」という同じキーワードが踊る記事を立て続けに読んだ。ひとつは日経ビジネスオンラインの「“ブックオフビジネス”は業界全体で取り組むべき」で、古本業界の「目利き」がチョイスした本だけをデジタルアーカイブせよという提言。つっこみどころは色々あるがたぶんログインしないと最期まで読めないと思うので、一部だけ引用:
オンデマンド印刷技術も進化して、トナーの定着率の向上を果たしているが、それでも、紙にインクを吸い込ませるオフセット印刷に比べたら耐久年数には雲泥の差がある。1万年前のアルタミラの洞窟の絵が残されているように、自然物に溶けこんで記録されたデータの方が、はるかに過酷な年月に耐えうるのだ。
古代の壁画はべつに目利きが優れた作品を意図的に残したわけじゃなくて、たくさんあった壁画のうち、破壊や日照を免れて、かつ現代人が目にすることができたごく一部が奇跡的に知られているだけだ。希少性はあるが、同時代に製作された作品の中でとくに優れているわけではない。紙への印刷物にしたって、本当に長期間残そうと思ったら中性紙に顔料インクでも使わなければせいぜい100年というところなわけで、偶然残った1万年前の壁画と、大量生産が可能になってからの書籍の保存を同じ土俵で語るのはずいぶん乱暴な話だ。
我々がいまも優れた書籍を手に取れるのは、「目利き」の意図によって残りやすくなっているのはもちろんだが、それよりも大勢の人が分散して同じ物を保管していたことの方がよっぽど重要だ。どんなに良いものであっても、最初から一品モノとして制作されていたり、すべて同じ場所に保管されていたら、今よりもっとたくさんの作品が消失していたことだろう。このエッセイで「失敗する」と予言されている「電子アーカイブ」もどうやら「一箇所に」「1つだけ」保存するイメージのようだ。紙の本と同じように、複数のコピーを分散して残すという発想はないのだろうか。
もうひとつはTogetterにまとめられた民間事故調のWGメンバーからのメッセージ。事故調の報告書をどのように公表するかというくだりでやはり似たような話が出てくる:
後世の評価に委ねるためには、後世に残る形で報告書を残しておきたいと思う。であるならば、紙媒体のほうがいいのではないだろうか。
ちなみにこの秋山氏の発言から報告書の公表にあたっての要件を拾うと、「できれば無償で公開したい」「多くの人に行き渡らせたい」「後世に残したい」というところなのだが、なぜか行き着いた先が紙の書籍での販売とのこと*1。いまどきこの手の報告書が最初から電子化されていないことはまずありえないので、それをPDFにして(というか報告書の原本がPDFである可能性が高い)、ネットにポンと置くだけでこれらの要件は満たせるはずだが*2。もちろん、書籍という形でしか手に取れない人向けに並行して印刷物を販売するのは良いことだと思うが、Print on Demandのようなサービスだって今はある。どうもこの人も、「後世に残すなら紙」と思い込んでいるようにみえる。
本気で後世に残したいのなら、昆虫や魚がとっている戦略を真似れば良い。つまり「一度に多量に産む」のだ。一品モノの壁画には偶然に頼るほか後世に残る手段がなかったが、印刷技術の登場によってたくさんの複製が作れるようになった。だが紙はかさばって保管に困るし、複製コストも一定レベル以下には下がらない。しかし、電子データなら圧倒的な低コストで無数のコピーを生成でき、しかも保管場所もとらない。分散して保管しておけば、仮に人類が電気テクノロジーを失わないかぎり損なわれることはないだろう。
もちろん、保存メディアの種類だって多いほどよい。電子データだけでなく、紙でも残すべきだし、なんなら石版に彫っても良い。『後世に残るのは紙か、電子か』という問いの答えは「両方!」だ。少なくとも「紙だけ」に頼るよりはよっぽどマシなはずである。
*1 ちなみに報告書は電子書籍としても販売されるようだが、現代の日本における電子書籍の多くはDRMガチガチの「寿命付き電子貸本」にすぎないので、後世に残すという要件はまったく満たさない。
*2 公開サーバの提供だってGoogleあたりに頼めば無償でやってくれるに違いない。というか普通にGoogle Docsを使えば良い。
突っ込みを入れられた本人の秋山です。私自身は内部では無料公開派でしたが、後世に残すという観点から、私自身が書籍での出版で納得したのは、(私が知らないだけかもしれませんが)PDFを蔵書してくれる図書館が報告書出版時点でどれくらい存在しているのか不明だったからです。今後財団がなくなったとして、そのHPが消滅すればPDFの場合その置き場所がなくなってしまうことになります。どこかにキャッシュは残り、ネットでググれば出てくるよーという状態にはなるかもしれません(たぶん、だれかもうすでに自炊してアップしたりてるんじゃないでしょうか)が、それに期待するのが、組織として正しい選択かわかりません。むしろ本にしておけば、電子化してくれる図書館もでるのではないでしょうか。また、書籍出版と同時にネット上で無料公開、というのは、出版社側としても受け入れるのは難しいのではないかと思います。
政府や国会の事故調とは予算が1ケタか2ケタ違い財政が厳しい中でも、原子力発電所を抱える自治体や防災関連の研究をしている大学、研究所、政府の政策関係者、インタビューをお受け頂いた方々等、報告書をお届けしたい方々は数多くいます。その方々へも印刷した形でお届けすることになっており、英語翻訳のコストなども勘案すれば、出版し、印税相当の部分をそうした費用に充当するのが理に適っているように思いますがいかがでしょうか。(ちなみに、今回メンバーは誰も印税を受け取りません。)
>秋山さん
無料公開ではなく、電子書籍として出版すればよいのではないでしょうか?
例えばDRMフリーの電子書籍を出版している以下のような会社があります。
http://tatsu-zine.com/
紙媒体のみでなく、電子書籍としても発売するなら、電子媒体として公開することに
問題はないのではないでしょうか?
後世に残すという目的からすると、紙媒体の出版のみが良いという意見に
合理的な優位点はないと思います。
> 秋山さん
わざわざご丁寧にありがとうございます。
最初にお断りしておきますが、私は民間事故調の今回のお仕事について深い敬意を抱いておりますし、むしろ有償で販売するのは当然という立場です。またチャンスがあればぜひ読んでみたいとも思っています。DRMのかかっていない電子書籍があれば、ですが。
そんな思いとは別に、秋山さんのツイートにあった要件は印刷物の販売という形では満たせないということを指摘しました。私の主張は単純で「後世に残したいなら可能なかぎりたくさんのコピーを作るべし」です。コピーが多ければ多いほど、失われる危険が減ります(ちなみに今回のディスカバーの電子書籍はおそらく読者側でコピーを作れないので寿命は紙以下です)。
秋山さんのコメントにある図書館は、平時においてはたしかに最高の保存環境ですが、たとえば時の権力者が危険視する書物を日本中の図書館から排除しようとしたらどうでしょう。そんなことはさせない、と図書館関係者は言うでしょうが、残念ながらこの時間線の図書館は暴力に対抗する力を持っていません。「後世」というのはそんなことが起こりうる未来の話ではないですか?
秋山さんが指摘している、ネットで無料公開されているものを出版することを出版社側が(ペイしないからという理由で)拒否したのではないかという点は私も考えていました。しかし、同様な形態の出版物はすでにたくさんあります。もちろん多くはエンターテインメント系なので今回の報告書と同列には語れませんが、本当に無料公開と並行して出版できるという出版社が皆無だったのかがそもそも疑問です。出版にあたって複数の出版社をあたりましたか?
それから、委員の方々が紙という「有形のもの」に特段の価値をみいだしすぎているのではないかという私の疑念もまた、秋山さんのコメントから裏付けられます。お世話になった方々に印刷物として届けたいという形式上のお気持ちはわかりますが、逆にとればPDFをメールするのではお礼にならないと言っているわけで、いまどきそれはないだろうと言わざるを得ません。関係者ならなおさら、懐具合に理解があるものでしょう?
というわけでけっきょく、「単に立派な装丁の本が欲しいだけなんじゃないの?」という私の疑念はちっとも晴れないのでした。
> kmdsbng さん
私も、DRMフリーの電子書籍があれば今回の要件をかなり満たせると思います(コピーの数には制約が出ますが)。もっとも今回の報告書を達人出版会から出してもらうのはちょっと違う気がします(笑)。でもパブーならありかも知れませんね。
なるほど、そうですね。ただ、今回D21さんにお願いしたのは、複数の出版社から断られたあと(28日の記者会見の時点でもお引き受け下さるところはありませんでした)で、それでもとにかく早く出してくれるところという点に尽きます。あと、PDFではお礼にならないというのは、インタビューにお応えしてくださった方々には当てはまりますが、防災担当者や役人が、わざわざPDFを印刷して読むでしょうか?また、今後、防災計画等の策定などにおいてもしかしたら参考にしていただける場面があったとして、その際にPDFから検索するでしょうか?むしろ書棚にあったほうが、手に取ってもらえる可能性は高くないかなあと思うんですが、いかがでしょうか。私の経験からすると、役所の世界はみなさんほどデジタル化されていないように思うんですが…
それから、「単に立派な装丁の本が欲しいだけ」というのはかなり馬鹿にされた気分です。微塵もそんな考えはありません。どうしたら報告書を読んでもらえるか、活用してもらえるか、保存できるかについて考え方に違いがあるとは思いますが、「紙で残したい=立派な装丁の本が欲しいだけ」という等式は、自明ではありませんし、また当事者としてそこはもっとも強く否定させていただきます。
エントリー、コメント欄ともに大変興味深い議論ですね。
Evernoteと紙に保存して、10年後、20年後、50年後にこのエントリーを読んでみたいです。
これは「見解の相違」というよりも、時代の過渡期に起こる議論ですね。
秋山さん、ただただしさん両方の意見に納得ができます。
私の心情は、ただただしさんの意見に近いです。不測の事態にも対応できる、未来を見据えた発言だと思いました。
しかし、電子機器に慣れない人々を考慮し、書籍化を選択した秋山さんの判断も理解できます。
私は報告書を書籍で購入してみる予定です。
まだ目を通していないので、仔細は分かりませんが、権利関係が気になります。
後世に残すことを最優先するなら、
自由に引用・転載・複製できる形が望ましいのは間違いありません。
紙であろうと、デジタルであろうと、著作権の問題で複製が不可能な場合が少なくありません。
紙か、電子か。以前に、法や権利は大きなハードルです。
>私の経験からすると、役所の世界はみなさんほどデジタル化されていないように思うんですが…
なるほど、広く知らしめるか、資料をよく使う役所の利便性(2012年現在の利便性)を考えるか。
バランスが難しいですね。
では、こういうモデルはどうでしょうか。
>「売り切ったらフリー化」出版モデル
>http://d.hatena.ne.jp/KZR/20090711/p1
>(以下引用)
>まず $8.99 の書籍を 200 冊だけ販売する。そしてそれが売り切れたら,オンラインで PDF 版の無料配布を開始する。
>出版側としては,元を取るために最低限の数は値段を付けて販売したい。だからそれは物理的な本として販売する。
>元を取ることが完了したら,物理的な制約を受けないデジタルデータとして,無料で広く配布する。
ざっと調べてみた限り、実践例が少ないのですが、
今回のケースでは、バランスの取れた手段に思います。
ぜひご一考下さいませ。
> 秋山さん
まずは「単に立派な装丁~」の部分に関して、気分を害されたのであればお詫びします。少なくとも秋山さんは無料配布派だったそうなので、これにはあたらないのは理解しています。これは他の(出版派の)委員の方々の心に、手で触れる成果物が欲しいという欲求がなかったのかな、という程度の意味です。私も出版の経験がありますが、頭では電子書籍の方が良いとはわかっていても、モノとして具象化するとやはり気分的にはだいぶ違うものですから、誰を責められるものではないと思います。ただそれが、無償配布を妨げる影の動機のひとつだとしたら残念ですが、秋山さんがそこまで否定されるのであれば撤回します。
繰り返しますが、私の主張は「紙も電子も」なので、秋山さんがあげているお役所など紙と親和性の高い職場に本を届けるのはちっともおかしいとは思いません(もっともPDFだったら活用されないという決めつけも、ずいぶん公務員の方々を馬鹿にした言い方だとは思いますが)。あくまで「後世に残す」という目的のためにはコピーの敷居を下げるべきという話です。
複数の出版社から断られたあとに、現在のD21が名乗りを上げてくれたというのも理解しました。だとすると、ここでD21の社長さんが、トモタカさんが例示されているようなモデルを採用してくれると一気にヒーロー(ヒロイン?)なんですけどね!(笑)
ともあれ、さまざまな背景があることはよくわかりました。秋山さん、長々とお付き合いありがとうございました。結果として「複製可能な電子データ」が出まわることがなくなってしまったのは本当に残念です。トモタカさんがご指摘のようにこれが単に過渡期の問題なのであればよいのですが、大震災という世の中が大きく変わるきっかけがあってもこのあたりの価値観というかスキームが変わることがなかったことには不安を禁じえません。
ただただしさま、
ご丁寧なメッセージありがとうございました。こちらこそ、非常に考えさせられる議論をさせていただきありがとうございました。他のエントリーもいくつか興味深いことがありましたので、また立ち寄らせてもらってよろしいでしょうか?
公開の方法については、今でも反省も含めて内部で議論しています。
> 秋山さん
もちろんです! これからもよろしくお願いします。公開手段について、新たな展開ができると良いですね。
今回のような場合とは異なるかもしれませんが、現在国立国会図書館では「インターネット資料収集保存事業」としてWebサイトの保存を行なっており、消失したサイトでも後世に残るようにする仕組みがあるそうです(Internet Archiveほど大々的な事業ではないですが)。
http://warp.da.ndl.go.jp/search/
電子書籍の納本制度も2011年度中に始めたいといった話もあったようですが、まだ始まっていないような(自信なし)。
電子書籍の納本にかんしては自分も記憶にあったので、この記事を書くときにちょっと探してみたんだけど、その後の動きが見つからなかったんですよねぇ。もう2011年度も終わってしまうのに。
関連メモ: http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/atstat/jss75shunen/
2008年に商業出版された『21世紀の統計科学』が在庫僅少になったことを受けてPDF版を無償公開(しかも増補版)。理由として「(本書の目的が)できるだけ多くの人々に統計学・統計科学の最近の動向を紹介することにある」と書かれており、まさにこのエントリで議論した目的と一致している。
気づくのが遅れたけど、Discover21はこのエントリから2年してDRMを撤廃したようだ。というわけで、遅くなったけどこの「調査・検証報告書」を買ってみようと思う。
http://www.d21.co.jp/news/other/20140213-1
http://www.d21.co.jp/shop/ebookp9784799311585