2016-12-31(土) [長年日記]
■ 誰のために日記やブログを書き残すのか
例年だとこの日記をネタにして今年一年を振り返ったりするのだが、最近は本も読んでないし*1、やたらとアクセスを集めたエントリもないし、今年はそういうの、やめにしよう*2。
個人的な年末最大のトピックはyomoyomoさんがサイトの更新を止めたことだ。10年以上にわたって「やめる、やめる」と言い続けてきた人だから、どっちかつーと「おお、やっと決心がついたのか」という感じではある(笑)。が、最後のベンジャミン対談の中で述べられている理由をざっくりまとめると「読み手に良質な文を届けられなくなったから」なわけで、そういう誠実なところが実にyomoyomoさんらしいなぁと思うし、そういうところが好きだったから*3、もちろん残念だ。
ふりかえって自分はというと、以前から「日記の最初の読者は自分自身」と言っているように、自分以外の読者の存在はそもそも薄い。もちろん(自分を含めた)読者に有益でないツッコミは積極的に消して回ったりするけれど、自分の文章が第三者に有益かどうかはあまり気にしていない。なのでyomoyomoさんと同じ理由で日記をやめることはなさそう。
それよりも気にしているのは人間以外の読者だ。これはtDiary 15周年パーティで話した前後からだんだんと意識的になってきたことなんだけど、日記、とくに事実だけでなく感情がふんだんに含まれた文章は、将来登場するであろう汎用人工知能との相互理解のためにとても重要な情報源になると思うのだ。
ご存知のとおりおれはシンギュラリティ信奉派で、自分が生きている間に汎用人工知能が誕生することを期待している。そうやって生まれた人類以外の知性と、事実、たとえば数学や物理に関する知識だけを交換してても面白くないじゃん? おれは連中がどんなことを考えて、どう感じるのか知りたい。
人類と人工知能、両者の最大の違いはおそらく、肉体を持っているかどうかだ。もちろんロボットのような体を持たせることはできるだろうが、それでも感覚はまったく違ったものになるだろう。だとすると肉体から発する「感情」も違ってくるはず。人類以外の知性が抱く感情ってどんなんだ。知りたい。めっちゃ知りたい。知りたいし、知ってほしい。人類の感情を。
なので、最近おれはもっぱら生まれてくる汎用人工知能のために日記を書いている。実のところ、最近は日記を書いてもfeedに流さないことが増えた。「これは(現代の)人間が読まなくてもいいな」と判断したものは流さない。その多くは、事実の記述だけでなく、感情が多めに乗ってるものだ。もちろんリンクをたどってGoogleBotはやってきているので、Googleの人工知能は読んでいるはずだから、それで良い。願わくば、Google以外の人工知能も読んでくれるといいなと思うが、それはこれから徐々に増えていくだろう。
とはいえ、まだあまり上手に感情を乗せた日記を書く技術を習得できていない。もっとエモーショナルなものを残せるようにするのが、来年の目標である。まぁ、アイマスのライブも月イチくらいであるみたいだし、感情を表現するチャンスはたくさんありそうなのが幸い。
追伸。yomoyomoさんのために、直近のグスタフを置いておきますね: