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ただのにっき


2014-04-01(火) [長年日記]

父の葬儀

告別式は9時開始。田舎の叔父夫婦と弟が葬儀場に泊まりこんでいるので、弟を解放するために5時に起きて一人で式場へ。朝飯にコンビニおにぎりを買ってきたら、叔父夫婦は初めて食べるという。米農家の二人は、しきりに米の旨さに感心していた。まぁなー、コンビニおにぎりは主戦場だからなー。

さて、お袋と弟がギリになるまで会場に現れないというヤキモキ状態だったが、告別式も時間通りに開始。通夜よりは少人数になったが、それでも「家族葬」という名前の印象からはやや多め。今日は姪っ子たちも寝ないで焼香できた。いまは初七日法要も続けてやってしまうそうで(7日間の時間を圧縮してしまうとは恐ろしいまでの合理化だ)、連続して読経がなされ、焼香も2回させられる。ここまで合理化するのに、儀式じたいはなくならないんだよな。不思議だ。

ちなみに本当に身内しかいないときは信仰の違いを理由に線香一本あげないのだが、セレモニーの場ではいちおう焼香くらいはする。以前、バリの寺院を見学したときに肌の露出を避けるためにサロンを腰に巻いたのと同様、観光客として異教徒の神聖な場を乱さない振る舞いをしているだけだけど。数珠まで身につける気はないが。

読経が終わると棺桶に蓋をする。ここで親父の姿とはおさらば。思い出の品をいくつかと花を詰め込んで、お決まりの「石で釘を打つ」儀式もしっかりやって、男衆(といっても年寄りばかり)の力を借りて霊柩車へ。子供のころによく見かけた金ピカの霊柩車はもはや過去の遺物で、今はメルセデスの黒塗りステーションワゴン。棺桶をしっかり固定する金具が妙に凝っていてカッコ良かった。

霊柩車乗るのはお袋と坊さんで、残りは自家用車に分乗して火葬場へ。遺族が位牌や遺影を胸に抱えて火葬場に向かう……というお決まりのシーンはなくて、なぜかというとおれも弟も運転手だからなんだけど。火葬場は車で5分足らず、棺桶を釜に入れて、読経、焼香。そのまま待合室に入って、また思い出話に花が咲く。

1時間少々待てば焼き上がりである。まだ熱々の遺骨にまずは肉親だけが呼ばれて骨の確認。たぶん他人が見たらヤバいものが混じってたりしないかどうか事前にチェックさせるのが目的だと思うが、確認たって別人のを見せられても見分けがつくわけもないので何の意味があるのやら。その後全員再集合して、2人ひと組で箸を使って骨壷へ骨を運び入れる。頭蓋骨を最後に入れるというルールは祖父・祖母のときの記憶にある通りだったけど、そういえば「これが喉仏です」という説明がなかったな。あれは地域差があるんだろうか。あまり意味があるとも思えないので個人的にはどうでもいいが、どうしても故人の喉仏を見たい人もいるんじゃないでしょうか。

そういえば火葬場へのルートは行きと帰りで変えるものだそうで、葬儀場の人が葬儀場の出入口が分かれているからそれで良いかと聞くので、だったらそれでいいですよ、と。というかなんであんな変な構造になってるのかと不思議だったんだよ、そういう理由か。儀式の形骸化もここに極まれり。

坊さんとは火葬場で別れ、親族だけでもどった葬儀場でまた食事。こんどは懐石のコース、温泉旅館の夕飯クラスの分量で腹いっぱいになる。あいさつは弟に押し付けたら娘を使ってうまいことやりやがった。こういうシーンで子供は武器だなぁ。参加者も無事にひととおり終わったという開放感からか、明るい雰囲気である。おっと、これが葬式だということをほぼ忘れていたよ。

という感じでぶじ解散。実家に戻って少し待っていると、葬儀場の人が祭壇を設置しにやってくる。東向きの以前おれが使っていたいい部屋を使うことにしたんだが、6畳の部屋の壁面いっぱいが祭壇と花とお供えでいっぱいになってしまう。こりゃたまらんな。まぁ、花は枯れるし、お供えも徐々に減らしていくんだろうが、四十九日までは基本このままだ。我が家だったら置き場所ないよこれ。難儀なものだ。

さっそく噂を聞きつけた近所の人が焼香にきたりする合間を縫って、香典の整理などをする。葬儀費用(戒名・布施を除く)の半分くらいが香典でまかなえる計算。ま、こんなもんですかね。他にも残りの儀式ワークや、役所ワークの準備もあるが、今日はもうくたびれたので続きは後日。弟は叔父夫婦を送っていったので、お袋とうちの夫婦で天ぷら屋に行って夕飯を取ってからまっすぐ帰宅→バタンキュー。おれは施主として、かみさんも久しぶりの嫁ワークをしてヘトヘトだ。お疲れさまでした。


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