2013-12-30(月) [長年日記]
■ 人工知能学会誌の表紙からメッセージを(勝手に)読み取る
例の人工知能学会誌の表紙、炎上した結果毎日毎日いろんなメディア経由で繰り返し見せられたおかげで、すっかり好きになってしまったよ。見れば見るほどさまざまな角度で深読みができて、じつに面白い。公式アナウンスによれば「掃除機が人工知能になっていることを表しています」ということなので、人工知能をネタにした抽象的なイラストということになるのだろうけど、まがりなりにも科学者たちが選んだイラストだ、単なる荒唐無稽なファンタジーではなく、(意識的か無意識かにかかわらず)ある程度の蓋然性があるものが選ばれてるに違いない。
そういう視点でこのイラストを見てみると。
まず主題は、人間そっくりなヒューマノイド・ロボットである。現在のロボット技術が進歩して人間と見紛うロボットが家庭に入るようになるのは、早くて10年、遅くとも50年くらいかかるだろう。それくらいの近未来の風景ということだ。ロボットをヒューマノイドにする最大の理由は、人間が活動する環境で、人間と同じ道具が使えるようにするためだ。つまり、このロボットは掃除だけでなく、さまざまな家庭内労働をこれ一体でこなしていると想定できる。
いっぽうこの絵の場所は、おそらく書斎。紙の書籍が床にまで積み上がっていることから、(書籍のほとんどが電子化された近未来で)わざわざ希少な紙の書籍を収集するこの部屋の主は裕福な好事家。おそらくロボットもまだ高価なものだが、趣味の延長で購入したものではないか。
ふたたびロボットに目を向けると、背中から生えているアンビリカルケーブルが妙に太い。この大きさのロボットに大電力が必要なわけがないので、データ用途だろう。膨大な量のデータの入出力があるに違いない。ということはこのロボット、頭脳がまだ外部化されているのではないか。さきほど「家庭内」と書いたのはそういうことだ。このロボットは外に出られない。「人間と同じことができるロボット、ただしコンピュータに一部屋必要です」……こりゃぁ相当なマニア向け、ごく少数のアーリーアダプターしか買わないぞ?
そんな高価なシロモノなのに、このロボット、掃除をさぼって本を読んでやがる。いやしかし、ここは重要なポイントだ。人間と同じ行動がとれるだけではない、人間と同じ思考ができることを示している。本を拾って開き、命令に背いて中身を読む、知性と好奇心を持っているということだ。
で、これが人工知能学会誌であることに戻ってくる。
近年までの人工知能研究は「すごく賢いコンピュータ」を作ることに力点が置かれていた。チェスや将棋で人間を負かしているのは、短時間で多量の計算をこなす「すごいコンピュータ」だ。でもこれがどんなに進歩しても、人間のように思考する機械は作れなさそうと言われている。一方、脳を模した、人間のように考える人工知能の研究は、あまり芳しくない(なかった)。だから個人的には、自分が生きているうちにコンピュータと会話するのは無理なんだろうなぁと思っていた。
しかし、最近はちょっと流れが変わってきたらしく、周辺技術の進歩が見られるようになってきているらしい(参考→“AI”はどこへ行った?(5):AIの“苦悩”――どこまで人間の脳に近づけるのか)。もちろん以前読んだジェフ・ホーキンスの仕事のように、真正面から脳の模倣に取り組んでいる研究者たちもいる。うん、あきらめるのは早いかも知れない。
つまりこういうことだ。日本の人工知能研究者は、せいぜい50年以内に人間と同じように思考する機械を作る気でいると(サイズは少々大きいかも知れないが)*1。この表紙イラストには、そんなメッセージが込められているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
このことに気づいたおれの興奮を、うまく文章化するのは難しい。でも、同じ興奮を覚える人はきっといると思う。だってそうだろう? イルカのような相互理解のできない知性じゃない、同じ本を読んで、互いに感想を述べあえる、人間以外の「知性」に、生きているうちに会えるかも知れないんだ。これが興奮せずにいられようか。
というわけで、新しい人工知能学会誌、リニューアル直後に妙なツッコミが入ってしまって凹んでいる研究者も少なくないかもしれないが、こんな未来が待っているなら応援するよ。がんばってください。できれば10年、せめて20年くらいならたぶん待てます。
*1 この数字はジェフ・ホーキンスが掲げた目標ともおおむね合致する。
くだらないイチャモンつけてる人々(性別が偏ってる)の言がまた面白いのです。どうみても絵に書かれた対象が人ではないのに何故か性別を具有する存在として扱ってる。
もうしわけありませんが、以後、このイラストの性差別的側面に関するコメントがついた場合は削除します。私が意見交換したいのは、人間とは別の「知性」が将来誕生するかどうか、それはいつか、という話です。
箒を抱えつつ本を開く所作が、自ら主体的に学習する項目を選ぶことと、体験することで知識を自分のものにしていくことを表しているように思いました。
フィードバックで動く身体をもつことで学習が進み知性が進化していくと考えると、人工知能が特異点を超えるにはセンシング、ロボティクスとの連携が重要なのでしょうね。
「未来の二つの顔」の方向の知性はそう遠くない気がしますが、悲劇を回避するためにもヒト型であることは有効かもしれません。
人工知能学会の表紙の件 - 児童小銃
http://d.hatena.ne.jp/rna/20131228/p1
人間の役に立つことが第一で、自律的ではあっても主体的であってはならない。そんなロボット。
つまり、人工知能研究が目指すロボットは、主体性を持つ(自由意志を持ち自己決定する)存在、
平たく言えば人間のような心を持つロボットではない。
人工知能学会のFAQでも「AIは,人間の心をコンピュータに宿らせることが目
的」ではないとしている。
しかし、人工知能学会が学会誌の表紙イラストにそれを採用するという行為は、
学会のイメージをあのイラストでアピールしていると見なされるわけで、
どうしても「学会の立場から見たロボットはこうです」といったメッセージ性を帯びてしまい
||
ということなのでこのイラストは人間とは別の「知性」が将来誕生するかどうか、それはいつか、という意見公開のページにはふさわしくないと思います。
読みがちょっと浅いかなぁ。この掃除機の所有者は自炊ブームに乗れなかったので(当然のように暗い未来では所有物であってもスキャンは禁止されている)、今になって、掃除機に本の廃棄もさせているんですよ。スキャンは禁止されているから、直接文字データとして吸い上げているということで。
アンビリカルケーブルが妙に太いのは、これがアンビリカルケーブルではないからです。掃除機の本質はゴミの処理。ケーブルに見える部分こそ掃除機の本体ですね。となると、この絵はケーブル型ロボットが人間の女性を襲うところにも見える。AIが世界をどう認識しているか。「AIの暴走」はSFにも何度も取り上げられてきた永遠のテーマです。一連の騒ぎも「人間の女性とはなにか」という認識論につながるわけです。
本と言えばブラッドベリ。この図は、華氏451度 (の映画版?) のラストで描かれる「本を暗唱する人々」がさらに死に絶えた後の世界を示していると解釈することもできます。
このロボットは書籍から情報を読み取るインターフェイスであると同時に分散コンピュータのノードの一つでもあります。ノードは世界中に存在しているので遅延の影響は拭えませんが、その分を広帯域でカバーするためにこのように太いケーブルで接続されているのです (安易か) 。
華氏451度において「消防士」という言葉が変化したように、この世界において「掃除機」という言葉もまた違う意味を担っているのでしょう。かつて焼却され廃棄された本を吸い上げ、集積するものとしての意味。
> argonさん
そうですね。人間と同じ思考をするためには人間と同じ身体(による入出力)が必要という可能性は高いと思います。そういう意味で知能方面の研究よりもロボットの方面の方が(素人目には)進歩が大きいので、人工知能研究の躍進が望まれるところです。
> fusanosuke_nさん
人工知能学会が明にそういうことを書かないのは、ロボット学会が「アトムやガンダムを作りたい」と書かないのと同じくらいあたりまえのことだと思っていましたが。だから本文には「無意識…」と書きました。とはいえ、研究者の内面にまで踏み込んで勝手な議論をするのはたしかに不適切かも知れませんね。
メッセージ性云々に関してはノーコメントです(個人的にはどうでもいい)。
> artonさん
あれがルンバの進化形だという意見は多かったけど、じつはScanSnapの進化した姿だったのか!(そしてルンバに乗って動き回るScanSnapの姿を思い浮かべているところ)
> ma2さん
掃除機(のホース)案はけっこう見かけるけど、だったらジャバラじゃないとなぁ。でも、あのホース「だけ」がロボットだといのは新しいと思いました(笑)。というか「暴走したロボットがワンピース姿の女性を襲う」表紙なんて、いったいいつのパルプ雑誌だ!
私はこの絵を見て「ヨコハマ買い出し紀行」的な未来を感じましたね
つまり彼女はこの部屋の主で年末の大掃除中についつい本を読み出してしまった図なのだと
ケーブルが太いのは充電用のものだからでしょう
これだけ人に近い姿の人工知性ならそのありようも人に近いのだと思います
>まがりなりにも、、、
そこなんですね。まがりなりにも大の研究者たちから「圧倒的な」(学会サイトより)支持を得て選ばれた絵なんですね。そのことを軽視した議論が多すぎるように思いました。どうして選ばれたか、ぼくなりの考えを書いてみましたのでよろしければ。
「寓意画としての人工知能学会誌の表紙絵」
http://estparis.blog108.fc2.com/blog-entry-111.html
投票できたのは一部の学会員だったとか、イラストレータにはそんな意図はなかったとか、あとからあまり面白みない情報が出てきていますが、フェルメールまで持ち出すこういう妄想は好きです(笑)。