2011-12-20(火) [長年日記]
■ 著作権的GoodニュースとBadニュース
今日は著作権がらみで良いニュースと悪いニュースが両方あった日だった。
【Good】 Winny開発者 無罪確定へ
最高裁までいったWinny裁判が、ようやく無罪確定。こうなることは確信していたけど、やっぱり長くかかったなぁ。司法にも良識というか常識が残っていることを確認できたという意味でも良かったし、ソフトウェア開発者にとっての安心材料がひとつ増えた。金子さん、本当にお疲れ様でした。
【Bad】 「自炊」代行2社にスキャン差し止め要求 東野圭吾さんら作家が提訴
個人的には断裁後の「紙」をきちんと処分する業者を選んでいるから流出なんてしないし、結果として残るのはPDFのみなのだから複製ではない(データ変換ないし「移動」)だと解釈しているから違法性はないと考えているけれど、こんなの法解釈次第でどうにでもなることも理解しているので、変な判例がつかないといいなぁと思う。まぁ、結果が出るまでしばらくかかるだろうから、それまでに蔵書を全部電子化するまでですわ。残念なことに(というか幸運なことに?)、ここに上がっている作家の本は1冊も持ってなくて、腹いせにブックオフに売っぱらうこともできないのだけど。
この手の話で「自炊をしているのは本の置き場に困るようなロイヤルカスタマなのに、それを盗人呼ばわりするなんて」という批判がよく出るけど、今回の報道を見ていて、この作家たちにとってそういう人たちはたぶん客じゃないのだろうなぁと思うようになった。顔ぶれを見ればわかるけど、それなりに実績のある年寄りばかり。ようするに出せばそこそこ売れるのがわかっているわけで、たとえロイヤルカスタマが見限ってもそれ以外のライトな読者にさえ本が売れればそれで良いのだろう。で、作家に忠誠など誓わないライトな読者にとって本は安ければ安いほどいいわけで、電子データが(違法に)ダウンロードできてしまえば本に金など出してはくれない。ゆえに電子化を目の敵にする。
だったらちゃんと金を払ってくれる読者を育ててプレミアな価値を売ろう……と考えるのが「なんでも無料化時代」のビジネス手法なわけだが(参考:「ケビン・ケリー著作選集」)、彼らはそういう方向を目指すにはおそらく歳を取りすぎている。ゆえに古い手法、つまりライトな読者に多量で安価な「モノ」をすばやく売るしかない。彼らは、DRMのかかっていない事実上「無料」の音楽CDに付加価値をつけて、一人に何枚も買わせてしまうビジネスモデル考えついた秋元康のような才覚を持ちあわせていないだけなのだ。そう考えるとなんだか気の毒になってくるね。
もっとも、そういう旧弊な人たちのせいで電子書籍が不自由なものになるのは耐えがたいよなぁ。『ユーザー個人が電子化する行為は私的複製として「認められる余地がある」』という発言や、浅田次郎の発言をみるかぎり、彼らは本を売っているのではなく、「本を読む権利を販売している」つもりでいるらしい。つまりライセンスモデルを導入したがっている(たとえ紙の書籍であっても)。で、実際のところ日本の電子書籍はそういう方向に突き進んでおり、現状、多くの電子書籍において読者が「購入」した書籍の寿命は書店の寿命と同一である。それは「自分の家の本棚」におさめられる「本」ではない、単なる「貸本」ではないか。そんな「貸本」に「尊厳」とやらが存在するとは思えないのだが。
> 彼らは本を売っているのではなく、「本を読む権利を販売している」つもりでいるらしい。
音楽も、映像コンテンツも、著作権のからむ物はみんなそういう傾向があるように感じますね。しかも「権利を売っている」にもかかわらず記録媒体が変わると再度金を払う必要がある。
音楽はまだCDでも買えるし、AmazonやAppleからなら(ほぼ)DRMのないデータも買えるわけで、ちゃんと「モノ」を売ってると思うよ。
音楽(JASRAC)はこんなことを言ってるというのを踏まえてます > 権利を売っているにもかかわらず~
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/04/20/23214.html
「自家用車で聞くために、消費者はもう1枚同じCDを買うのか」と疑問を投げかけたことを取り上げ、「当然だと思う」と説明した。「家にあるコーヒーを車で飲みたければ、持ち出すか外で買えば良いのと同じ。車で聞きたければCDを持って行くか、それがいやならもう1枚買えば良い。CDの自宅内でのコピーは認められてはいるが、コピーを持ち出すのは『基本的に全面OK』ではない。自宅内で使うものは仕方がないから認めるという程度。そういうことがきちんと理解されず、既得権のように当たり前になるのは非常に危険だ。」