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ただのにっき


2011-09-16(金) [長年日記]

オライリーは電子書籍と一緒に「安心」を売っている

(書いてあったのに公開するのを忘れていたことに気づいた9/19公開)

今日、IDEA*IDEAのAndroidマーケットでオライリー本がすごく安いといった記事が流れていて、それはまぁいいんだけど(英語の話だし)、ちょっと見過ごせない言葉が:

↑ さらにExportもできるだと・・・。これを使えば好きなリーダー使うことができますね(しかしグレーな機能だな、これ・・・)。

1冊1冊が独立したAndroidアプリになっていて、EPUBファイルをエクスポートできるという機能のところなんだけど、「グレー」ってなんやねん。Tim O'Reillyインタビューを読めばわかるが、オライリーの電子書籍にDRMは使われないし、TimのスタンスからしてEPUBエクスポートなんてむしろできて当然の機能なんだけど。

オライリーはこういうところに本当に心を砕いているなぁというか、紙の書籍から電子書籍に移行するにあたって、紙のポータビリティを可能な限り満たそうとしてるように感じるんだよね。現在、もっとも「寿命」の長そうな電子書籍フォーマットはEPUBだと思うけど、これにDRMがかけないということは、仮にオライリーが潰れても、そしてEPUBビューアが存在しなくなっても、コンピュータさえあれば読むことができる*1。「目」さえあれば読むことができる紙の本に肉薄しようと思ったら、DRMフリーのEPUB、これしか選択肢はない(次点はPDF)。

データさえ手元にあれば、将来に渡って読み返すことができる。それも誰に制限されることなく。本を買う側にとって、これがどれだけ安心できることか、説明不要だろう。オライリーの電子書籍を買うという行為には、この「安心感」が付いてくる。値段なんかより、このことの方がよっぽど重要だ。

ひるがえって日本では、「ガラパゴス」進化せず シャープ、9月末で販売終了 「iPad」に対抗できずというニュースが流れてちょっとした騒ぎになったりする。冷静に考えれば、他社を巻き込んで拡大路線にあるGALAPAGOS「サービス」がそう簡単に終わるわけがないわけで、これは単にGALAPAGOS「専用端末」の販売終了というニュースにすぎないとわかる。だが、(記事のタイトルがあからさまなミスリードとはいえ)市場の反応はそうではなかった。おかげで慌ててシャープ担当役員、「GALAPAGOSは決して撤退しない」と釈明する始末。

こんな反応をされてしまうのも、採算がとれなくなったらすぐに撤退するんじゃないかという疑いを持たれているからであって、それを払拭する努力もしなければ、仮に撤退しても買った本が確実に読めるという保証もしてくれないからだ。特定の端末でしか読めない本なんて怖くて買えないし、ましてやその継続性に疑問があったら手を出す気にもなれない。なにしろシャープは既存のSpace Townを閉鎖してGALAPAGOSへ誘導するなど、囲い込みに懸命なのがミエミエで、今後閲覧環境が拡大するとは信じられないわけで、今回の市場の反応はその「不安」がみごとに現れていたと思う。

もうちょっとオライリーの考え方を見習ってくれないと、国内のサービスから電子書籍を買いたいとは思えないんだよねぇ*2


とはいえ、こういう文句を言うのは、年間数十万円以上を本代につぎ込み、家の床が抜けるほど本を溜め込むようなタイプの人々だけかも知れない。そしていま、電子書籍に乗り出そうとしている日本の企業が相手にしているのは、そういう人たちではない、という仮説も成立する。

ではどういう人たちを想定顧客にしているのかというと、本を単なる消費財として考えている人たちだ。読み終えた本を家に置かずにすぐさま捨てたり、ブックオフに売り払ったりする人たちがいる。音質が悪くても、機種変したら消えてしまうことがわかっていても、ネットからDRMガチガチの音楽データを買うような人たちも、この国には大勢いる。彼らなら、いま各社が進めている「囲い込み型の電子書店」でも本を買ってくれるかも知れない。

もしそうだとすれば、そしてiTunes PlusやAmazon MP3にいつまでたっても国内レーベルの音楽が増えないという現状から推論すれば、オライリーのような理想的な電子書籍を日本では決して買うことができないということにもなるのかも知れない。悲しいことだが、仮にそれで市場が成立してしまえば、そういうことになるだろう。

そういう意味で、出版デジタル機構には少しだけ期待している。というのも、この組織が国立国会図書館の長尾館長の構想を受けてのものだと理解しているからなんだけど。と、OnDeck 007号を読んでそう思ったのであった。

Tags: ebook

*1 なにしろEPUBは最悪でも中見のHTMLを取り出して読むことができる。

*2 もちろん例外もあり、オライリージャパン、オーム社、技術評論社、それからもちろん達人出版会は将来に渡って読めるフォーマットの電子書籍を販売してくれている。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

ただただし [*2の情報は完全ではない。確認していないが、インプレス、パブーもDRMフリーではないかと思われる。]

向井 [新書や小説はそういう読者も多いと思いますが、技術書は必ずしもそうでもない、といったところがこうした違いを生んでいるの..]

ただただし [その仮説はよく目にするけど、実証されてた試しがないのであんまり信じてないというか。身の回りで技術書溜め込む人は小説も..]

向井 [そうですね。海外だとfictionwiseも頑張っているのは知っていたし、本当のところはよくわかりません。]


2011-09-14(水) [長年日記]

的川泰宣さんの講演を聴いてきた

仕事つながりで縁があり、尊敬する的川泰宣さんの講演を聴いててきた。

最近のエッセイを読んでいると、膝をはじめ体のあちこちが良くないようだし、油断していたらお話を聴ける機会も失われてしまうのではないかという危惧もあり(←縁起でもない)、こういうチャンスは逃してはいけない。まぁ、蓋を開けてみれば2時間ぶっ通しで水も飲まずにしゃべりっぱなしという、どんだけ元気なのよという嬉しい驚きだったのだけど。

テーマは(例によって)「はやぶさ」ということもあり*1、知らない話はほとんどなかったのだけれど、導入でコスモスカレンダー(宇宙の年齢を1年間にたとえると人類の歴史なんてちっぽいけ云々という例のヤツ)の話を始めたと思ったら、「9月(太陽系誕生)頃のできごとを知りたい人々がいる」という振りから小惑星探査の話へ。さすが。

他にも映画のネタバレ(笑)から、川口さんが臼田のオペレータたちに毎日欠かさずお茶を差し入れた話、「こんなこともあろうかとダイオード」に関わる秘話など、ちょっとずつ初耳な話題を盛り込みながら、「はやぶさ」を成功に導いた「きずな」が、震災後の日本人の高い評価と同じ土壌から生まれたという話を経て、21世紀の尊敬される国になろうというメッセージへ。

最初から最後までまったく飽きることなく、ずっしりと重いものを受け取った。的川さんはほんとうにすばらしい。これからも元気に活動を続けて欲しいものだ。

Tags: hayabusa

*1 奇跡の帰還からもう1年以上たつのに衰えないこの人気ぶりは凄まじい。


2011-09-13(火) [長年日記]

夜明けの言葉(ダライ・ラマ14世)

以前紹介した『本が好き!』、あれから3回ほど献本に応募して、そのたびに抽選から外れていたのだが、そもそも読みたい本がなかなかなくて、きっとおれが読みたがる本は競争率が高いに違いない(とは思えないけどいちおうそういう仮説)、じゃあ間違っても自分から読もうとは思わなそうな本に応募してみよう! という方針変更で臨んだら一発で当選してしまいました。それがコレ。どういうこったい!

厳格な無神論なので、宗教関係の本は研究目的でもない限り読むことはないから、まぁ貴重な経験ですな。もっとも、これまでに見聞きしたダライ・ラマの発言には頷くことも多かったので、特に違和感はなかった。というか、誤解を招き、低俗な響きになるのを承知で言うなら、いわば「抽象度の高いライフハック本」である。

ダライ・ラマ14世本人が執筆したものではなく、たくさんの講演の中から、だいたい1ページ以内に収まる分量で抽出した「引用集」という体裁。発言の内容によっていくつかのカテゴリに分けられている。すべて独立しているからどこから読んでもいいし、カテゴリに縛られる必要もない。あと、チベット各地で撮影されたたくさんのカラー写真が良い彩りを添えていて、見ても読んでも楽しめる本。

面白いことに、チベット仏教の高僧の講演なのに仏陀に関する話はほとんどなくて、いつでも慈悲深くあろうとか、「敵」とどう向きあうかといった「生き方指南」的な内容がほとんど。それも「超自然的な何か」を仮定することなく、なんでも合理的に説明しているので納得度がすごく高い。仏教はもともとそういうものだけど、おそらく修行僧に向けたと思われる説法以外はすべてそんな調子なので、巷のライフハック集から下衆な部分を徹底的に排除したらこんな感じになるんじゃないか。ライフハック好きにはウケそう。

一方、構成面での問題があって、そもそもこれらの言葉がいつ、誰に向けて発せられたものなのかという情報がいっさいない。仏陀や輪廻という言葉が出てくるところはたぶん修行僧に向けての説法だと想像できるけど、その他の引用はどういう文脈で語られたのかまったくわからない。つまり「引用」のルールがいっさい守られていない。たぶんカテゴリ分けも編者の一存で決められていると思われるので、ダライ・ラマの意図とは違う読ませられ方をしてしまう恐れもある。文脈から離れて意味を持つ言葉はもちろんあるだろうけど、それを検証できないというのはちょっと危険だなぁと思った。

Tags: book

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