2011-07-26(火) [長年日記]
■ 自己評価はリターンで測る。気長にね。
RubyKaigi2011から1週間をすぎ、一区切りついたのかふりかえりをする人たちがけっこういて、彼らのエントリを読むのもまた楽しい日々。特に@june29が「RubyKaigiとRubyとKaigi」というエントリでおれの日記を引用しているのでじっくり読んだ。で、何かアンサー的なものを書かないといけない気分になったんだけど、まぁ、あまりうまくまとまらないのだな、こういうことは。年寄りが書くとどうしてもお説教みたいになっちまうし。
だから気になった一言だけをとりあげて、そこからあんまり関係ない話をする。気になった一言というのは「自分は、RubyKaigiにどんな貢献をしてこれただろうか」という問いかけだ。
以前、GitHubとFOSSの話でも書いたように、「貢献」ってのは他者からもらう評価で使われるべき言葉だ。自己評価で「どれだけ貢献したか」つまり「どれだけアウトプットしたか」を測ると、下手をすると相手の満足度を無視した自己満足になってしまう。だから、自己評価はアウトプットの結果、どれだけのリターンがあったかで測った方がいい。仕事の成果を報酬で測るのと同じ。
ものすごく卑近でちっぽけな例だけど、せっかくなのでRubyKaigiに関係する自分の体験を出すと、「No Ruby, No Life」ってキャッチフレーズを使ったのは2006年10月、たぶんおれが最初だと思うのだけど*1、これがRubyKaigi2007のノベルティに印刷され、余ったTシャツがRubyConfへのおみやげとして海を渡り、向こうのRubyistたちの手に渡った結果、@tenderloveの基調講演で引用され、振り返ってみれば会場にはまさに「RubyをLifeにしている」何百人もの人たちがそのキーワードに笑っているわけですよ。あれを見たおれがどんなに愉快な気分になったか。
言うまでもなく、彼らがRubyで生計を立てているのと、おれの行動とはまったく関係がないのだけれど、5年前に作ったほんの30枚の自作のステッカーがこんな形でもどってきたらもう、愉快としか言いようがないわな。
他にも、今回のRubyKaigiでもっとも言及の多かった講演のひとつ、Cookpadの開発の話をした@hotchpotchが、この世界に飛び込むきっかけになったのがtDiaryのプラグインだったとか、長く生きているとこういう話は列挙にいとまがない。
もちろん、自分のアウトプットを客観的に見積もるのは大切だし、ふりかえりをして区切りをつけるのは良いことなんだけど、「貢献できたか?」という軸で何かを測るのはやめた方がいいと思う。それよりも、その結果として自分が何を得たのか、そしてそれは自分のアウトプットを超えるものかどうかと感じる方がいい。特に次のステップを意識する時に良い視点を与えてくれる。なぜなら、アウトプットよりもリターンの方が少ないなら、それはアウトプットが足らなかったことを意味するから。
だいたい、世の中の富や幸は基本的に増える一方なのだから、その時にできた貢献の量よりも、ある程度時間がたってからのリターンの量の方がたいていは大きくなる。だから、成果を目の当たりに出来るのは少し先になるかも知れないけれど、これからどんなリターンに出会えるのか、わくわくしながら気長に待つのもオツなものなのだ。
ほらな、やっぱり説教臭くなっちまった。
*1 もちろんこれはタワーレコードのパロディなので、すべての名誉はコピーライターの木村透に帰する。
私のLTでも引用・言及させて頂きました。ありがとうございます。
http://www.ustream.tv/recorded/16082195/highlight/187655
そういえばそうでした!