2008-08-12(火) [長年日記]
■ たまには毎日新聞にも良い記者がいることを思い出してあげてください
ちょっと時間があったので、ここしばらくチェックしていなかった毎日新聞関連の記事を少し追いかけた。佐々木俊尚の記事はオモロイな、やっぱ。
いま現在表面化している毎日新聞の(主流派の)体質については弁護のしようもないけれど、佐々木俊尚が言う「ガバナンスの欠如による良い面」も忘れたくない。
個人的にすぐに思い出すのは、永山悦子記者だ。3年前のはやぶさタッチダウンの時には、オールドメディアに対する偏見を払拭するすばらしい報道をしてくれた*1。ググってみるとまだ科学部で、最近は医療関連の記事を書いているようだ。あとで追いかけて読んでみよう。
そういえば2002年の雪印の不祥事のときも雪印がなくなると困る人の話を書いた。そこそこ大きな企業ともなれば当然良い面も悪い面も持ち合わせているわけで、悪い面ばかりが強調されて「潰れて当然」なんて流れになるネットの暴走はいつもながらひどいと思う。
そんなわけで、ちょっとバランスをとる記事くらい書いておくべきだと思ったのであった。おれは毎日新聞の科学部がなくなることを希望しない。がんばれ、毎日新聞(の中の良識派の人たち)。
*1 リンク先にある記事がことごとく404になってるあたりがダメダメだけどなぁ。
毎日新聞にも良い記者がいることには同感です。そういう方は他紙に転職してご活躍していただきたいと存じます。実際、全国紙のなかで毎日から他紙への転職は比較的多いと伺ったことがあります。
確かにいると思いますよ。
それは、会社ですから間違いだって起こすと思います。
で、それで潰れて言いかというと、それだって問題があるとは思いますが、この事件で謝罪が十分ではないのではないかというのがほとんどであり、謝罪をしないのであれば潰れても仕方ないのではって言う方向になると思います。
ネットの暴走ですが、これは飛躍しすぎではないでしょうか?
メディアがほとんど取り上げないために、この問題を知っている人はほとんどがネットを中心に情報を集めている人だと思います。
だから、ネットでの意見が白熱するんだと思うんですけどもね。
ちなみに、ネットの意見も悪い部分だけがピックアップされているという現実があると思いますよ。
>鰤さん
現存する優秀な記者には、転職という道もありでしょう。しかし、その優秀な記者を育てた場は毎日新聞にあることを忘れてはいけないと思います。「毎日をつぶす」ということは、そのような場も抹消することを意味します。もしかすると取り返しのつかないことかも知れません。
>KAKERU1986
「謝罪しないなら潰れても仕方ない」とは、ずいぶん短絡的ですね。「倒産」を企業の死と位置づけるならば、「反省しない犯罪者はすべて死刑」と言っているのと同じですよ。
刑罰は、極刑以前にたくさんの段階があるはずです。にもかかわらず、死刑を望む声が多数あり、それを諌める人もいない。こういう状態を「暴走」と言わずになんと言うんでしょうね?
>鰤さん
たとえそれが他の企業組織への移籍であるにせよフリーランスになるにせよ、転職したからといって従前と同じ分野で同じように活躍できるとは限りません。
>KAKERU1986さん
>この事件で謝罪が十分ではないのではないかというのがほとんど
というのは、何をもってそのように判断しておられるのでしょうか?
>ネットの意見も悪い部分だけがピックアップされている
これはあると思います。言い換えれば、自分にとって都合の良い事実だけを取り上げ、自分にとって不都合な事実には目を向けない、ということです。
>ただただしさん
「ガバナンスの欠如による良い面」ではなく、「ガバナンスを保留もしくは行使しないことによる良い面」と言うべきであろうと私は思います。これについては、社主が存在するかしないか、存在する場合にどのように振る舞っているか、主筆がどのように機能・行動しているか、にもよるところが大きいでしょう。そうした面の見落としも含めて、佐々木俊尚の記事は杜撰なものであると私は思いました。
優秀な記者を評価するのであればその具体化として経済的利益を記者個人にもたらすべきであり、優秀な記者を育てた場を評価するのであればその具体化として経済的利益を場である企業組織にもたらすべきでしょう。
しかし現状では、そうした利益還元のシステムが送り手にも受け手にも共通認識となっていない。圧倒的多数は、「無料で公開されている新聞記事にタダ乗り」ということになってしまっている。だから、「リンク先にある記事がことごとく404になって」しまうわけです。404になるのがダメダメということであれば、では受け手・情報の購入者としてどのような行動を取れば404にならず記事を残しておいてくれるようになるのか、ということです。
例にあげておられる『3年前のはやぶさタッチダウン』記事にしても、単純に記事文章のみを評価しているのであればそれは記者個人に帰すべきものでしょうし、解説図表なども含めて評価しているのであればそれは記者個人だけでなく企業組織全体に帰すべきものでしょう。
現状を客観的かつ冷静に考えると、新聞社にしてもテレビ・ラジオ局にしてもそうですが、メディアが「潰れる」ということはまずあり得ません。新聞に限定して、2つの観点から。
ひとつは、新聞紙面の広告です。広告代理店にとっては、新聞という集金装置があるからこそ商売ができるわけです。現状では、新聞が1紙消滅したと仮定してその新聞に掲載されているだけの広告の分量を、たとえ他紙全体に分散させるにしても他紙全体がまるまる引き受けられる、というところにまでは広告需要は低下していません。広告の枠は多いほうがいいのであり、もしもそうした枠が減少する可能性が現実的になってきた場合に広告代理店がどう行動するか、です。
もうひとつは、折り込み広告です。大都市圏では、都道府県・区市町村の広報や、選挙公報の配布手段としても、折り込み広告は定着しています。これをいまさら、代替として自治会や町内会に配布させるというわけにもいかないでしょう。
>にもかかわらず、死刑を望む声が多数あり、
>それを諌める人もいない。
>こういう状態を「暴走」と言わずに
まさにそれこそ悲劇です。既に非を認めて詫びているにもかかわらず「まだまだこんなものじゃない」と吊るし上げるのでは、それこそ文化大革命と同じです。少数化と先鋭化を繰り返して、行き着くところまで行くしかないのかもしれません。