ただのにっき
2015-10-19(月) [長年日記]
■ アニメ「シンデレラガールズ」が終わってしまって来週からなにを楽しみに生きればいいのか
「シンデレラガールズ」終わってしまいましたなぁ……。こんな寂しいことはない。自分的最高アニメの座にはながらく「トップをねらえ!」(および「2」)が居座っていたけど、これはもう満場一致でその座を譲ってもらってもいいだろう。それくらい最高の作品だと思う。
実のところ、メインストーリーは卯月が復活した24話で終わっていて、25話はいわば「ご褒美」だろうと思っていたし、それはおおむね間違ってはいなかったのだけど、手描きTVアニメの限界に挑んだような2つの新曲や、さわやかな涙を誘うエピローグをぶっちぎって最初に抱いた感想は「やりやがった!」。まさか最後に「これが本当のシンデレラガールズでござい」をやるとは思わなかったよ、痛快すぎる(笑)。
前回までのストーリーは、不器用なプロデューサーと14人の少女たちがたがいに高め合ってアイドルになってゆく話で、それ以外にはときおり数人のキャラクターが接触してくるだけの小規模なものだった*1。しかし、最終回にしてその狭い世界から一気にパースペクティブを広げてみせると、現れたのは数十人の個性的すぎるアイドルたちが繰り広げるカオスだ。原作であるソーシャルゲーム「アイドルマスター シンデレラガールズ」は、そういう混沌とした世界を、自ら選んだアイドルたちと渡り歩いてゆくゲームなのだ。
今回登場したアイドルは6、70人いたらしいが、これでもまだゲームに登場する全アイドルの半分以下。原作世界がどれだけ広々としているか、実際にプレイすることなく想像するのは難しいだろう。それを少しでも垣間見せてくれたのがこの最終話なのだ。そして(ここが重要だと思うのだけど)、エピローグでシンデレラプロジェクトの代替わりが示され、一期生たちはそれぞれ新しい立場でその才能を発揮している、そして最後に「私たち、シンデレラガールズです」と自己紹介。これをもってアニメのストーリーはクロージングとなるのだが、むしろここからはじまるかのような仕立て。シンデレラガールズの物語はこれからもまだまだ続くというメッセージだ。
ここまできて、ようやく常務とプロデューサーのポエムバトルの意味がみえてくる(と思う)。常務が夢見るアイドル像は「城」に象徴される頂きに君臨する唯一の女王だ。それはすなわちトップアイドル。これまでアイマスが765プロを通して描いてきたアイドルそのものだ。トップアイドルになるとその先はない。物語は強制的にリセットされて、ふたたび繰り返す。
しかしプロデューサーはそれを否定する。彼のビジョンは、たくさんの星がそれぞれの輝き方で光り続ける、到達するべき明快なゴールはないが、けっして終わることもない世界。これぞゲーム「シンデレラガールズ」が体現してきたものだ*2*3。
24話で卯月は最後まで星の中に自分の夢を書き込むことができなかった。最終話でもそれは明らかにせず「キラキラしたい」とだけ言っている。実はその後ゲーム内で公開されたコンテンツで卯月は夢を語っているのだけど、こっちでも「ずっとキラキラしたい」と言っている。単純だが明快でない、だがこれはどんな夢よりも欲張りな夢だ。だって、これを叶えるためにはシンデレラガールズが永遠に続かなくてはならないのだから。
じゃあ、永遠に続けるってどういう意味? それについてはすでに何人もの人がブログ等に書いているのでここでは省く。じつに恐ろしい世界だ(笑)。まぁそれも一興。NEVER END IDOLM@STER。
文字ばっかりで寂しいので、最後にかわいいみくにゃんを置いておきますね。デレステでSSRどころかSR・Rも出ないんだよなぁ……。
*1 あれのどこが小規模なのかという異論は認めなくもない。
*2 765プロの世界がOFAになってこのビジョンに近づいているのはとても面白いと思う。PS4版がどうなるのか楽しみだ。
*3 さらに妄想を逞しくすると、常務の登用は765プロの急速な台頭への対抗策ではないかと考えられる。常務は346プロのブランドを活かして真正面からぶつかる手法を選ぶが、プロデューサーは別の道を選んだ。エピローグでかつて765の看板があった場所が一部346で置き換えられているのを見れば、プロデューサーが成果をあげたことは明らかだろう。346に巻き返された765の次なる一手は「会いにいけるアイドル」。そう、765シアターである。