ただのにっき
2014-03-30(日) [長年日記]
■ 父、他界する
見舞いから帰って疲れたので早めに寝たら、日付が変わったあたりで実家から電話。枕元に置いた携帯に気づかないくらい熟睡していたので、まだ起きていたかみさんが家電を取ってようやく連絡がついた。いわゆる「チチキトク」である。急いで支度をして車に乗り込む。
家から病院まで1時間くらい。深夜だから道は空いていたが、残念ながらぎりぎり間に合わなかった。誰が悪いわけでもないので残念だがしかたがない。まったく苦しまなかったということで、じっさい死に顔も穏やかなのが救い。弟の嫁さんがちょっと泣いたくらいで、肉親の誰も泣いてないのは、悲しむ暇がないというだけでなく、ようやくつらい闘病生活にピリオドを打てたという安堵感の方が強いからだと思う。
というわけで、このあと数日間は淡々と儀式ワークをこなしていくだけだ。敬虔な無神論者にとってはつらく厳しい数日間となるが(しょっぱなの死に水取りからして面食らう)、まぁ心を空にして臨むしかあるまい。長男だし。
真新しい衣服(といっても服に執着のなかった人なのでただのパジャマ)に着替えた親父の亡骸は、あわただしく黒塗りのワゴンに乗せられて、市内の葬儀場へ。いったん自宅へ、という話もあったそうだが、今回はしめやかに家族葬にすることもあり、深夜に近所に騒ぎをおこさせるまでもないということでパス。入院中もとくに帰宅したがることもなかったし、いいんじゃないのという。なにかと執着にはほど遠い親父である。
面会室に安置して、今日はもう遅いのでいったん解散。スムーズにことが運んだように思えたが、すでに夜明け前である。車で帰宅してそのままベッドへ。
で、9時ごろ起きて、また葬儀場へUターン。11時から通夜・葬儀の打ち合わせ。弟と「(親父は倹約家だったので)消費税があがるまえに死んだんじゃないの」なんて軽口をたたいていたが、どうがんばっても明日が通夜、明後日が告別式にしかならないので、ぎりぎりアウトである。それでも僧侶と火葬場の手配ができて、無事この日程でいくことに。
葬儀場の人はさすがにプロなので、いろんな要求を華麗にさばいていい感じのところにおさめてくれる。とはいえ想像したほど安くはならんな、家族葬。僧侶は昔から母方の家とお付き合いのある方なのでいろいろ気やすく聞けるということもあって、こちらもぶっちゃけた感じで進む。驚いたことに親父は自分で戒名や遺影まで用意してあったのだけど、(遺影が妙に若い頃の写真なのは良いとして)戒名はやたらと位の高い字を使ってるとか、そもそも戒名として使える字が少ない素人仕事ということで、坊さんに苦心してもらっていい感じに組み直してもらう。しっかし、ほんの10文字程度の死後の名前に数十万とか正気の沙汰とは思えんよ。自分の遺産がこんな無駄なことに使われたら、おれだったら嘆き悲しむけどなぁ。まぁお袋がこれで満足ならいいんだけどさ、もうあんたの金なんだし。
弟も「(親父が)一人ではかわいそう」とかいって葬儀場に泊まると言い出す。まさか実の弟がこんなに信心深いとは思わなかったよ。死後の世界も天国も、もちろん魂の存在も信じない無神論者としてはあれはもう単なる物体にすぎないのだが、まぁおまえがそれで満足なら好きにしなさい。おれは帰って寝る。