ただのにっき
2013-09-26(木) [長年日記]
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本の未来 (Ascii books)(富田 倫生)
25日の追悼イベントには参加できなかったが(さすがに平日の真昼間ではね。タイムシフトで観られるようなので時間があれば観てみたい)、代わりといっては何だが『本の未来』を読んだ。1997年の本で、リンク先は紙の本(Amazon)だがすでに入手できない。が、(もちろん)青空文庫に入っているし、BinB Storeでは無償でEPUB版のダウンロードができる。ちなみに以下の3種類で読み比べてみたんだが:
上から順に読みやすかった。一番古参のフォーマットが一番高品質という現実よ……。言うまでもなくEPUB版はかなりのハンデ戦。BinBはWebフォントをONにしててもなお文字品質が悪すぎて読むに耐えなかったが、Androidタブレットではそこそこの品質なのでWindows固有の問題か*1。なんにせよPDFがどんな環境でも一定レベル以上の品質なのは歴史の積み重ねなんだろうな。もう電子書籍のフォーマットはPDFだけでいいんじゃないの……なんてことを思ってしまうのは、本書の内容にも関わってくる。
その内容はというと、富田倫生が1992年ごろに初めてエキスパンドブックで電子本に触れてから数年間、厳しい闘病生活のなかで、開けていく本の未来に思いを馳せるというもの。当時の熱っぽさが伝わってきて、たいへん面白かった。とくに驚くべきなのは今から20年以上前、最初にエキスパンドブックに触れてほとんど間をおかずに、電子化された本の持つ可能性についてきちんと指摘してあることだ。いわく:
コンピューターでは、おさめられた情報を操作して、別の形式で再生できる。(中略)電子本は声で読み上げたり、点字に変換したりできるようになるだろう。
翻訳も、一種のデータ変換かもしれない。英語の電子本を翻訳ソフトと組み合わせ、日本語で読むようなこともできるかもしれない。
コンピューターにとっては、長い文章の中から指定した言葉を探してくる検索はお手の物だ。この機能を付けておけば、それだけで電子本には完璧な索引が付いたのと同じことになる。
コンピューターでは、昔から通信回線を通してデータがやり取りされてきた。(中略)印刷本を送ろうとすれば国内で数日、外国なら数週間かかるものが、電子本ならどこでもあっと言う間に届く。
最後の指摘は電子本の功績というよりはネットワークの発達という外部環境の変化によるものだが、他の点はデータ変換しかり、検索しかり、基本的に「データを自由にいじれる」という前提がある*2。
で、いま現在「データを自由にいじれる電子本」がどれほどあるかというと、青空文庫やごく一部の出版社による書籍を除いては「ない」。なんとまぁ、富田倫生が「本が電子化されればこんなことやあんなことができる」と膨らませた夢が、驚いたことに20年以上たってもほとんど実現していないのである。ひどい話ですねぇ。その間に出版界がやってきたのは、データを入れる新しい(不自由な)器を次々と発明しては古い器を捨てることだけだ。これを怠慢と言わずなんと言えばいいのだろう。
そんなわけで読み終えてから、本の未来への夢というよりは、むしろ絶望を味わってしまった。電子書籍元年なんてまだ来てないよなぁ。