ただのにっき
2013-09-11(水) [長年日記]
■ 富田倫生が残した「本の自由」
仕事でアクセシビリティとの関係はなくなってからもアクセシビリティキャンプ東京のスタッフを続けていたりしているのだけど、同様にAccSellのポッドキャストも毎回聴いてたりする。先日公開された第27回後編:「おかんはDropboxとかEvernoteとか分からない」が面白くてですね、これが。
梅本暖さんをゲストに迎えて、青空文庫にある文章を読み上げる「音声文庫」というアプリの開発秘話をインタビューするという趣旨なんだけど、梅本さんの「聞きたい欲」がちょっとおかしいレベルなわけ。なにせ、自炊した本をわざわざ自分で買ったOCRにかけてからMP3に変換してまで音声化していたという。そこから(自炊する必要のない)青空文庫にたどりついてアプリ開発に至るまでに、その道程になるような音声関係のアプリがいくつもあって、どれもいわゆるアクセシビリティについてはぜんぜん意識せずにやっていたと。
で、そういう面白話はもちろんだけど、こういうアプリがスムーズに作れる「自由」があったということ、それこそが青空文庫の最大の価値なんだよなぁと思ったのだった。
8月11日に富田倫生さんが亡くなったという報を聞いて、最初に思ったのが「TPP交渉で著作権が70年まで伸びたら青空文庫はおしまいというこの時期になんで!」ということだったのだけど、富田さんはもう十分に大きな仕事をされたのだから、あとは残ったわれわれが引き継がないといけないのだよなぁ。とりあえずは寄付かなと思ったものの、なんかすっきりしなくてまだしてない。
というのもまぁ、この活動を仕切ってるっぽいのがボイジャーだからなのだけど。上で述べたように、青空文庫の価値はその「自由」さにある。そりゃパブリック・ドメインなんだから当然だけど、公開されているデータが自由に加工が可能なテキストだからこそ音声データに変換できたし、その他さまざまな研究の素材にもできる。紙に印刷されていた頃の本にはできなかったことができる。「本の未来」って、こういうことだと思う。
そう考えると、ボイジャーがやってるBinBってのはまったく自由じゃない(5つの自由があるなんて書いてるけど、こんなの自由でもなんでもない)。好きなフォントで読むこともできない、コピペすら満足にできないような「自由でない本」を扱う電子書店が、青空文庫や本の未来を扱う? そりゃないだろうセニョール。
富田倫生追悼イベントを富田倫生とゆかりの深いボイジャーが仕切るのはなんの不満もないけど、本の未来までは語って欲しくないんだな、おれは。青空文庫の収入は毎年下降してるっぽいので、それが増えるに越したことはないんだよねぇ。まずはこの基金がへんな色を付けずに運用されるかどうかを見守るのかなぁ。なんとも消極的態度だけど。