ただのにっき
2011-12-16(金) [長年日記]
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トルコのもう一つの顔 (中公新書 1009)(小島 剛一)
artonさんがやたらとおもしろいと言うもんだから、ついつい手にとってしまった。20年も前の本であるが、本当に面白い。最高級の冒険ノンフィクション。
ヒッチハイクや長距離バス、自転車を使っての貧乏旅行でトルコ各地を巡るうちにトルコに魅せられてしまった言語学者が、東部の奥地で出会った(トルコが公式には存在すら認めていない)少数民族や彼らが使う独自の言語について調べていく……という一種の紀行文なのだが、なにしろ「非公式」な存在なものだから、そもそもよそ者には見えないはずの人々なわけだ。そこを持ち前の天才的な言語能力でもって次々と現地に友だちを作っていき、どんどん調査を進めてしまう。その踏み込みっぷりがとにかくすごくて、英語も満足に喋れないおれとしてはもう、まるでファンタジーである。
つくづく「言葉が通じる」ということは大切なのだなぁと思う。よく、お笑い芸人なんかがロクに単語もわからんような外国に行って、手振り身振りだけでなんとか旅を乗り切るみたいなバラエティがあるけど、あんなのぜんぜん表面的にすぎないんだよなぁ。ちゃんと相手と話ができるから、政治や宗教にまで踏み込んだ、本質的なコミュニケーションができるのだ。プログラマだって、関数型言語のなんたるかも知らずにLisp族の使い手と話ができないのと同じである(←またひどい例え)。
さて、話はとうぜん、トルコ当局に目を付けられて……という方向のトラブルに発展していく。近年の日本人の「トルコ感」というと、とにかく親日、地震があったらまっさきに手をさしのべてくれる遠く離れた隣人で、「トルコで私も考えた」で描かれたような気のいい浪花節的な男たちの国である。が、本書で描かれるのは文字どおり「もう一つの顔」で、回教徒やトルコ民族(?)でないものを徹底的に抹消しようとする政府の横暴だったり、自らの存在を隠し、忘れようとしている少数民族だったりする。
で、(いろいろあって)いきなり大ピンチ! というところで物語はバツンと切れるのであった。ええー、そりゃないよと思ったら、20年の時を経て昨年、続編「漂流するトルコ」が出ていたのだ。じゃあこっちも読まないとなぁぁぁ。でもKindleには向かない版型なので悩む……。
中央公論新社
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