ただのにっき
2009-06-25(木) [長年日記]
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ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)(計劃, 伊藤)
今ごろ読んだのかよ的でアレだけど、読んで良かったものは書き残しておくことにしてるので。
人の体内で健康状態を監視するナノマシン(?)のおかげで病気が駆逐された未来のユートピア。ということは言うまでもなくディストピアなわけだが、そうくると登場するのは「昔を懐かしむ年寄り」か、「新しい変化を渇望する若者」のどっちかと相場が決まっている。しかし、この作品でまず登場するのは「昔を懐かしむ少女」である。
そんな典型的なような、そうでないようなディストピアものとして話は進むが、イマドキのディストピア小説がそのままオチるわけもなく、少女たちが大人になる中盤以降、とんでもないテロ事件によって急展開を始めてがぜん面白くなる。……で、結末はまたひどいユートピア(当然これまたディストピア……とも言い切れない)になるわけだけど、うーん、途中をうまくまとめられない。まぁ、読んでください。日本SF界が長らく渇望していた本格派新人作家の(最後の)長編なのだから。
以下駄文。
ここんとこ、『アッチェレランド』、『レインボーズ・エンド』、そしてこの『ハーモニー』と読み続けて、(発表年はばらつくものの)どれも相当にITが進化した<プレ・シンギュラリティ>の様子を描いているのが面白かった。やっぱひとつの潮流とみていいんだろうなぁ、<シンギュラリティ>。しかも、どの作品も単なるSFガジェットとして扱っていない点に好感。
ただ、前の2作と『ハーモニー』はちょっと違っていて、『ハーモニー』においては人々にセキュリティ意識がほとんどない。前の2作は徹底して「自分の身は自分で守る」というポリシーが貫かれていたように思うが、『ハーモニー』にはそんな雰囲気は微塵もない。なんとなく安全だろうという「空気」によってみんなが安心しきっている社会を描いているのだけど、自分の安全がテクノロジーによって日夜脅かされている「今」の延長線上に、そんな未来はあるのだろうか?
これは日本で書かれたからかも知れないな、アメリカ人が自分の安全をコントロールする権利を手放すような社会を描くわけないじゃん。……とか書いたとたんに反例をいくつも思いついたので、あながち『ハーモニー』的な未来もあるのかも知れんね。人間、何するかわからんし。
もっとも『ハーモニー』で描かれるITは、ちょっとバランスが悪いのは確か。常にオンラインにあるのに、当たり前のように集合型詰め込み教育が残っていたり、その場で「ググる」描写が非常に少なかったり。このあたりはちょっとリアリティないと思った。『レインボーズ・エンド』を読んだ直後だけによけい感じる。