ただのにっき
2008-11-26(水) [長年日記]
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恋するコンピュータ (ちくま文庫)(黒川 伊保子)
ogijunが「ものすごく好き」というのを見て、文庫版を読んでみた。たしかにogijunが好きそう(笑)。書かれたのは10年前だが、文庫あとがき代わりにけっこう長い後日談が入っている。
表題のとおり「(利用者に)恋するコンピュータ」を作りたいという著者の研究の出発点を語った本だ。ようするに人工知能なんだけど、ちゃんと人間のことを理解してくれるパートナーとしての知性を求めているところがポイント。「とにかく大脳と同じ動き方をする機械を作るんだ」というジェフ・ホーキンス(『考える脳 考えるコンピュータ』参照)とは方向性がぜんぜん違う。
執筆時点では研究はまだ出発点で、ぜんぜん進展してない(と思う)ので、ブレインストーミングのログがそのまま出てきたような臨場感が面白い。裏づけもなにもあったもんじゃないような思い付きがバラバラと登場して、科学と偽科学("偽科学"で語感が悪ければ"未科学")の境界をふらふらと彷徨う。研究の出だしって、こういうもんだよな。
で、人間に寄り添うために五感・語感に着目して話を進めるのは良いのだが、ときどき偽科学領域に足を踏み込みすぎて危ういのなんの。読んでるこっちがはらはらする(笑)。特に自分自身の体験だけを論拠に自説を一般化するあたりは、ありがちすぎて「ちょっと待て」とツッコミを入れたところ。「最近の若いもんは」的な(これまたありがちな)若者批判が入るあたりも、なんだかなー。
もっとも、その後の10年でだいぶ客観化できたようで、感性の研究から事業をひとつ起こしたりもしているようだから、成果は徐々に出てきているのだろう。もっとも、その先に本当に「恋するコンピュータ」が登場するのかというか、どうもイメージがわかない。いやまぁ、「恋する(くらい自分に強い関心を抱いてくれる)コンピュータ」なんだろうけど、自分はそんなの、あんまり欲しくないかな。そういう相手は人間がいればいいじゃん、と思う。
いずれにせよ、人工知能へのアプローチにはいろいろなルートがあってしかるべきなので、ホーキンスと比べて読んでみると面白いと思う。両者は実は、けっこう同じことを言ってる箇所も少なくないので。近い将来、黒川伊保子版の方が良いアプローチだとわかるかも知れないし(まぁ、心地よいアプローチなのは間違いない)。
■ グラコロが売り切れはじめている
なんと。マクドナルドは昨年の教訓をぜんぜん生かしてなかったのか! 1週間以上読み間違えるなんてどうかしてる!!
実は昨日、Wassr上の報告でグラコロの包みに入れてもらえなかったというのを読んで、いやな予感はしていたのだが。昨年は、再販売時にグラコロ専用包み紙じゃなかった時期があったので。
あとは在庫を持っている店舗を探し歩くしかないのかー。地方ほど有利だと思うけど、平日はそうそう動けんからなぁ。去年みたいな再版がない限り、「200グラコロ」達成は無理?