ただのにっき
2008-09-29(月) [長年日記]
■
バベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)(サミュエル R.ディレイニー)
ハヤカワ文庫は最近、なぜか若いときに読み逃していた名作をときどき復活してくれたりして、けっこう助かる。もっとも、その他の新刊といえばシリーズ物ばっかりで、単に新作が出ないだけなのかも知れない。はっ、ひょっとして今は、「翻訳SF冬の時代」!?
というわけで、未読だった『バベル-17』をやっと読んだ。まったく、Rubyユーザとしてあるまじき!
表層的にはスペオペで、裏にはもっと深遠な話が横たわっている的な分析はもう、うんざりするほどされているので書かない。豊かな人物描写や風変わりなガジェットなどなど、書かれた時代のことを考慮しなくても普通にスペオペとして面白いし。さすがディレイニーだなぁ。
さて、まつもとさんがRubyを語るときに引き合いに出す*1「思考を規定する言語」バベル-17は、一人称・二人称を持たないプログラミング言語の末裔として描かれており、その圧倒的な記述力で、操る人間の思考までをも変えてしまう。ガジェットとしてはめちゃめちゃ魅力的だが、今のところRubyは(まだ)そこまでの記述力は備えていないので、我々Ruby使いは他の言語を併用せざるを得ず、完全にRubyに乗っ取られるチャンス(?)は残念ながらまだない。
そんなわけだから、ちょっと前に話題になったRuby信者批判に出てくるような「思考をRubyに乗っ取られた信者」なんて、存在するわけないじゃんと思うんだけど、どうなんでしょうね。実在するなら会ってみたいよね。この本に出てくるブッチャーみたいな人なんでしょ?
*1 最近はあまり耳にしないので「引き合いに出していた」と言うべき?