ただのにっき
2007-09-05(水) [長年日記]
■ ワールドコンに参加して、自分のSFに対する立ち位置を確認した
結論から言うと、「あぁ、おれって単なるコンシューマ(消費者)なんだな」ってことなんだけど。
スタッフの一人として準備に関わり始めて、実行委員会のあまりの属人性の高い運営体制にめまいがしたものだが、それでも誰一人欠けることなく*1ちゃんと成功裡に終わったんだから、スタッフのモチベーションの高さは賞賛に値するだろう。なにしろ、スタッフだからといって参加費免除なんて甘い話はないし、主要スタッフは何年も前から招致のために奔走していたのだ。仕事や家庭にはらった犠牲は想像を絶する。
で、おれはと言うと、準備に関わり始めたのがたったの2ヶ月前からだし、有名作家に会える(機会が多い)とかそういう「役得」にはぜんぜん興味がないこともあって、古参スタッフとの温度差はなんとしても埋めがたい。だから、ちょっと引いた位置でワールドコンを見ていた。
端的な感想としては「ワールドコンと日本SF大会は併催されているだけでぜんぜん混じり合ってないなぁ」というところで、柳下毅一郎がさよならSF大会で書いていることに近い。
日本サイド企画の多くが、徳間が大部屋を何コマも借り切って自社宣伝企画をやったり、ヒューゴー賞に円谷プロがやたらとからんでいたりと、「お客さん」相手のエンターテイメントだったのに対し*2、ワールドコンサイドの企画は参加者全員を巻き込んでの創作講座やら、たとえニーヴンのような超有名作家であっても10人程度しか集めないカフェ・クラッチェなど、参加型が目立っていた。
もしかすると、テッド・チャンのインタビューに、数百人入れる大部屋が割り当てられたことを喜んでちゃいけなかったのかも知れない。頑として30人部屋で開催していれば、ぜんぜん違う展開になった可能性もある。チャンももっと流暢に喋ったかも。一方、「カフェ・サイファイティーク」は日本サイドの企画だけど、ネタ的にはワールドコンっぽいと思う。あれがあんな僻地に押しやられていたのは、実はすごく残念なことではないか?
別にどっちが良いとか悪いとか言いたいわけではない。
自分は徳間のアニメ企画を2コマも楽しんだし、逆にディスカッションに巻き込まれても気の利いた発言などできなかっただろう。小説は読むけど作品が好きなだけで作家本人にはほとんど興味がないから、サイン集めをする気もなかったし*3。チャンに握手を求めたのは「もっと書いて!」というプレッシャーを与えるのが目的みたいなもんだしな。
自分はお客さんサイドの人間なのだ。だからおそらく、徹頭徹尾ワールドコン・スタイルで運営されていたら、たぶんぜんぜん楽しめなかったと思う。上のエントリのコメント欄で大森望が書いているように、日本SF大会もワールドコン・スタイルに移行するのだとしたらそれはそれで良いと思うけど、同時にそれは「お客さんお断り」という意味なので、おれが参加することはないだろう。
会期中、食事をとりに近くのレストランに入ったりすると、隣の席に座った参加者たちが、あからさまな優越感ゲームに興じていたりするわけ。それを見て、「カンベンしてくれ」って思ったよ。SFは大好きだけど、SFコミュニティに加わってこの手のゲームに興ずる元気はないなぁ。
小説を読み、映画を観て、ネットの片隅でうだうだ言ってるくらいが、おれの性に合ってる。そんなことを確認した、ワールドコンでありました。