ただのにっき
2007-08-12(日) [長年日記]
■ 円城塔の「Boy's Surface」を読んだ
こないだのLL魂で、志村さんがおれの顔を見るなり「Boy's Surface読みましたか!」と声をかけてきたのだった。どんだけ円城好きやねん! おれは今、ジョジョと一緒に奇妙な冒険をするのが忙しくて、SFマガジン読んでる暇がないのであります。
世の中には「円城塔はすごいよ派」と「円城塔をSFと認めたら負け派」がいて、おれはたぶん後者なんだけど、ていうか、こういうことを書くと目くじらを立てるシャレのわからない人がいるような気がするから念のためエチケットペーパーを敷いておくと、久々にいじりがいのある日本人作家が出てきたってことですよ(←どこがエチケットペーパーだ)。で、ネットで軽く「Boy's Surface」の感想を漁ってみたけど、誰も何がいいのか具体的に書いてなかった。ようするにお前ら何も理解できてないくせにわかったふりをしてるだけだろう! やれやれだぜ。
プログラマとして上っ面だけ読むと、レフラー球はコンピュータのアナロジーとして理解できる。メモリの中で何が起きているのか人間にはわからないが、変換された結果はディスプレイを通して理解できる。変換をしているのはプログラムで、入れ子になったレフラー球は、言うなればそのプログラムが生成した仮想マシン(VM)の中で別のプログラムを実行してるようなものだ。
自己書き換えプログラムも、プログラムを生成するプログラムも実在するので、ここまでは何も難しいことはない。こうして入れ子になった構造が、その内部から外に向かって逆向きに意味の通る何かを生成しているという点から、因果が逆転するのでSFと化す。あとはお決まりの「無限」を導入すれば「Boy's Surface」のできあがりだ。数学的構造とかいってるが、ただのアルゴリズムじゃん。
で、おそらく二度、三度と読むと深読みができるようになるんだろう。「青」のヒミツとか、章のタイトルに使われている「(x,y)」形式にも数学的な意味がありそうだし。でも今のおれは、移動時間のすべてをジョジョに、自由時間の大半をニコニコ動画に捧げているので、あえて二度読みはしません(笑)。