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ただのにっき

2007-05-26(土) [長年日記]

残像に口紅を (中公文庫)(筒井 康隆)

ちょっと前、映画『パプリカ』の公開に影響されて筒井康隆を回顧(?)する記事をよく見かけたが、この作品についての言及はあまりなかったようで残念だ。人気ないのかな。でも、ちゃんと文庫ですぐに入手可能なのは嬉しいね。ということで(単行本が発見できなかったので*1)文庫で買いなおして久々に再読した。

正直なところ、筒井作品はそれほど好きではない。初期のドタバタは根強い人気を保っているが、そもそもドタバタやハチャハチャといわれるSFは好みではないし。一方、『虚人たち』をはじめとするメタフィクション系実験小説も何冊か読みはしたものの、「ふざけんな」という感想しか抱けなかった(今読めば少しは違うかも知れないが)。が、本書だけは別格である。もし、ベスト小説を10冊あげよと言われたら、その中に入れてもいいくらいの傑作だ。

小説の進行に従い、世の中から文字を(正確には日本語の「音」を)1つずつ消していき、同時にその文字を使ったモノが消滅していく。しかもそのことに登場人物たちが自覚的であるという、設定だけみれば筒井らしいメタフィクション、それも「行き着く先まで行ってしまった」感のある実験にしか思えない。よほどの物好きでなければ付き合いきれないに違いない。

しかし、実際はさにあらず。

おれはよく、SF読み最大の楽しみのひとつとして「人ならざるものに感情移入できること」をあげるが、この作品はその究極にあたるだろう。なにしろ読者は、言葉そのものに感情移入してしまうのだから。しかも、作中で著者自らが「読者を言語そのものへの感情移入に導く」と宣言した上でのことであるからメタメタだ。

本好きなら、あまりの喪失感に落涙しても不思議ではない。この喪失感は、読み始めこそ失われた単語が表現していたイメージそのものに対するものに感じるだろう。だが話が進むにつれて読み手は、自身の言語そのものに対する愛着にじわじわ気づくことになる。読者は、自分の読書姿勢に対する新しい発見をするのだ。

さすがに、残る音が1桁になってくるとドタバタじみてしまうのだが、それでも話はきちんと進行し、最後の1つになってなおストーリーを失わない。筒井康隆の力量に驚愕するのも、また本書の楽しみである。たしか単行本では、雑誌未発表分の第三部は袋とじになっていたと記憶しているが、そういう細工をするだけの価値がある超絶的なアクロバットが見られる。

というわけで、『時かけ』や『パプリカ』のような、わりと一般人向けに書かれた話でしか筒井作品を知らない人に、まず勧めたいのが本書である。まぁ、楽しめるという保証はしないけど。

残像に口紅を (中公文庫)
筒井 康隆
中央公論新社
¥817

Tags: book

*1 書庫があるのにどうして発見できないのか不思議。