ただのにっき
2007-05-05(土) [長年日記]
■ アイドル開発概論・8時間目
「はい、席についてー。講義を始めるぞー。
えー、古典的アイドルの設計と実装について、これまで約2ヶ月講義をしてきたわけですが、今日はそのまとめをしようと思います。題材は菊地真です。あー、いま『えー、ヴァーチャルアイドルかよ』とか思った人は、これまでの私の講義をろくに聴いていなかったことを白状したようなものですね。今日は心して聴いてください。テストに出ますよ。
最初の講義で、現代にはもはや天然のアイドルはいない、という話をしました。天然のアイドルがいていいのは遅くとも小学生までですね。今日、アイドルと言えばとことん人工的な存在です。その語源の通り、偶像として、崇拝の対象として成り立つよう、きちんと設計されていなければならない。ここでいう設計とは、キャラクタ設定だけでなく、ターゲッティングやマーケティングも含んだ広い概念です。
そして、この設計を実装したのが、実際に我々が各種メディア上で目にするアイドルなわけですが、なにしろ相手が生身の、しかもたいていはかなり若年な人間なので、設計どおりに振舞うとは限らない。例えば、未成年なのに喫煙をしているのがバレたり、年上の男と温泉旅行に行ったところを報道されたりするような、偶像としてふさわしくない行為をしてしまう。
そこで、コンピュータ技術の進歩によって、必然的にヴァーチャルアイドルの発想が登場します。コンピュータ上になら、設計を忠実に実装できるだろうという考え方は、極めて自然です。
しかしながら、実際のヴァーチャルアイドルの歴史は死屍累々なんですね。リアリティを追求しすぎていわゆる不気味の谷問題にぶちあたったアイドルもあれば、単にアイドルとしての魅力に欠けていた事例もあります。これらの失敗は、実は実装ではなく、設計に問題があったんです。よい設計を実装する基盤としてではなく、無限に働ける便利な労働力を出発点として発想したがゆえに、ゆがんだ形で実装されてしまった。アイドルの本質を見失っていたといえます。
さて、そこで最新のバーチャルアイドルである、菊地真の設計をみてみましょう。いわゆる3DCG臭さのない、『2.5次元』などと呼ばれることもあるアニメ寄りのデザインが特徴ですが、こういう実装に近い部分ではない、設計面の特徴をみてみます。」
(スクリーンに菊地真の写真とプロフィール)
「まず外見ですが、ショートカットでスレンダーというボーイッシュなルックスが特徴です。想像できる通り、挙動も男の子っぽく、スポーツが得意で一人称は『ボク』という、リアルアイドルに実装するにはハードルの高い設定がされています。
一方、内面に目を向けてみると、彼女はものすごく『乙女』なんですね。女の子っぽい憧れをそのまま抱いていて、非常にピュアです。このギャップが、アイドル菊地真の設計の狙いです。そう考えると実は身長がそれほど高くないのも狙ってやっていることがわかります。アイドルの設計では、このギャップの設定が極めて重要です。ギャップには驚きを生む効果があります。
ここを押さえた上で、彼女の持ち歌である『エージェント夜を往く』を聴いてみましょう。」
(スクリーンに『エージェント夜を往く』のPV)
「歌詞や曲調が、真のルックスによく合った楽曲ですね。低めの声も、大人っぽさを演出して、よくマッチしています。しかし我々は、彼女の内面が乙女であることを知っています。
すなわちこの曲を菊地真が歌うという状況は、出張ホストか逆ソープ天国みたいな歌詞を非常にウブな女の子に歌わせていることになる。聞き手はここに、倒錯的な喜びを感じる仕掛けです。これを舌足らずな小学生に歌わせては倒錯の度が過ぎるし、かといって20歳過ぎのお姉さんキャラに歌わせても意外性がない。適度なギャップが存在する菊地真だからこそ、この曲が映えるわけです。」
「さてここで、同じような狙いを持つリアルアイドルである山口百恵と比較してみましょう。山口百恵は設計と実装の分離が未発達な頃の前古典的アイドルの代表ですが、『清純派』というおおまかな設計方針はありました。そして、主演映画で大胆なヌードを披露するなど、清純派から想定できる枠をはみ出した活動でギャップを狙った、当時としてはたいへん進歩的なアイドルでした。
そこで彼女の後期の代表曲である『美・サイレント』を聴いてみましょう。」
(スクリーンに『美・サイレント』を歌う山口百恵)
「はいここ。歌詞の『あなたの○○○○がほしいのです 燃えてる××××がすきだから』というところに注目。発音しないで口パクのみという、オリジナリティ溢れる演出ですね。内容的に、非常にエロチックな妄想を掻き立てられる歌詞です。百恵が清純派であるがゆえに、この効果はとても高い。
ところが残念なことに、百恵本人がこの部分に関して、インタビューで『"真心"と歌っている』と言ってしまった。ファンの妄想を打ち砕く、残念極まりない行動です。これはもう、実装基盤が生身の人間であるがゆえに、避けては通れないリスクなわけです。
しかし、ヴァーチャルならこういうことは起こらない。設計者の意図を忠実に再現可能なんですね。ファンは安心して妄想にひたり続けることができる。アイドルに求められる永遠性がまさに実現されている。」
「せんせー。ヴァーチャルアイドルも、声だけは人間に頼っていると思うんですけど。」
「はい、いい質問ですね。非常にいい質問です。確かに声はまだコンピュータ合成になっていません。他には、ダンスも実際は人間の動作をモーションキャプチャすることが多いですね。しかしながら、日本には映画の吹き替えやアニメのおかげで、非常に声優が豊富です。
例えば菊地真の場合、その設定上、高い音が苦手という制約がありますが、実際に高音を苦手とする声優をチョイスしています。ルックス、歌唱力、ダンスやモチベーションなど、生身の人間に実装するには現代のアイドルに求められる資質は高すぎます。設計の求めるレベルに、実装基盤が追いついていけない。一方、声やダンスを別々に選べるのはヴァーチャルならではの利点ですし、そうすることで実装の幅が広がるわけです。
えー、そろそろ時間なのでまとめますが。古典的な意味で理想のアイドルを求めることは、すなわち実装に依存せずに設計を突き詰めることであります。そうしてできた美しい設計を、完璧に近い形で実装できるヴァーチャルアイドルによって、古典的アイドルはついに完成をみたわけです。
しかしながら、ヴァーチャルアイドルは現在においてもけっしてメジャーになっていません。なぜか。『古典的』という冠がついていることからわかるように、市場はすでに『現代的』なアイドルが席巻しつつあるからなんですね。
というわけで、来週からは第二部『現代的アイドルの開発』に入ります。特に提出する必要はありませんが、宿題として第一章の『アジャイルアイドル開発』をひととおり読んでおくこと。特に『振り付け駆動開発』は、従来とは発想の転換が必要なので、参考文献も参照しつつ、自分なりの理解をしてみてください。
では終わります。」