ただのにっき
2007-04-23(月) [長年日記]
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沈黙のフライバイ (ハヤカワ文庫JA)(野尻 抱介)
こういう作品を読むと、ハードコアな宇宙SFというのは、実はどんなジャンル小説よりもロマンに近いんだよなぁと思う。
冷徹な理論を積み上げて、徹底して論理的な舞台を設定したあと、物語は主人公にこう迫るのだ。「さて、あなたはこれに命をかけますか。GO or NOGO?」と。二者択一。魔法は ないから、その他の選択肢という逃げ場はないわけ。ここでGOと答えればもちろんのこと、NOGOと答えてもドラマがある。決断を下した主人公に対する読み手の感情はもう、ロマンチックとしか言いようがない。
そういえば『ロケットガール』のブログで作者の野尻抱介が人命軽視に対するコメントを書いていた。アニメ版『ロケットガール』の序盤を見た視聴者が「人命軽視が不快」と書いていたことについて、作者は「有人宇宙飛行が必ず背負わなければいけないこと」と返している。このやりとりは双方にとってフェアじゃないと思う。
ゆかりは典型的な巻き込まれ型の主人公なので、初回の打ち上げでは「(有人宇宙飛行に対して)背負わなければいけない」何かなど持っていない(フィクションを成立させるために背負っているものがあるだけ)。宇宙開発という文脈では彼女には「NOGO」と答える権利があり、それは尊重されるべきなのだ。これを見た視聴者が不快感を感じるのはしごく当然だし、作り手が申し開きのできるものではない。『ロケットガール』のこの部分は、宇宙開発において越えてはいけない一線を明らかに越えている。
ただし、この作品は長編シリーズなので、この段階で断罪するのもまたフェアではない。2巻で茜と出会い、(アニメではやらないかも知れないが)3巻で月へ向かう段になると、ゆかりのモチベーションは明らかに変化する。おそらくその時点での彼女は「GO」と答えるだけの理由を自身の内側に抱くことになる。この期に及んでまだ人命軽視云々という輩がいたら、糞でも喰らえと返してよろしい。
閑話休題。
で、本書は短編集なので、そういう迷いはいっさいなし。ピュアな論理と、ロマンに満ちた決断があるのみである。「GO」と答える話もあるし、「NOGO」と答える話もある。どちらも納得できる決断で、実にドラマチック。しかも「NOGO」としたあとにはきちんと「次なるGO」に繋がるエピソードを残してあるという憎さ。はっきり言ってとことん読者を選ぶジャンルだが、こういうのを楽しめる自分でよかったと思う。