ただのにっき
2004-11-09(火) [長年日記]
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夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)(こうの 史代) 読書ノート
11月3日の続き。再読者向け。ネタばれありすぎなので未読の人は注意。ツッコミなどで新しい情報が寄せられているので、随時アップデートしている。なお、このトピックはあくまで「読書ノート」に過ぎない。最終的な書評は11/22分を参照のこと。
表紙
2005-01-26追記、ツッコミより: カバーを取ると、切り絵調の別表紙が現れる。『夕凪の街』が同人誌として頒布されていたときのものだという説があるが未確認。
2005-01-28追記、ツッコミより: 同人誌版『夕凪の街』の表紙はDOXAにて見られる。なかなかいい色使い。
目次
欄干に腰掛ける皆実。着ているのは古田と作ったワンピース。地面には打越にもらった草履。つまりこれはありえなかった未来。
『夕凪の街』
非常に悲劇的な話であり、ある意味「原爆文学の王道」。表現が優れていること、恋愛をからめたことから、雑誌掲載時にセンセーションを巻き起した理由がよくわかる。しかし、続く『桜の国』がある今、『夕凪の街』は前ふりにすぎないと個人的には思う。
p7
ワンピースを見る皆実の視線は、袖に。腕にやけどのある皆実は、夏でも長袖の服しか着ない。
p8-9
ツッコミより: 皆実が素足で川べりを歩くのは、原爆投下直後の体験(p23-24)が元になっているのではないか説。
p9
「お富さん」の間に挟まる「みどりちゃん」は、原爆で「死んだはず」の妹、翠と同名。物語に少しずつ暗い影が混じる。
p10
「立ち退き反対」の張り紙。投下から10年、焼け跡のバラックにも再開発の波。
p12
ツッコミより: 打越の姿を見て、すぐさま袖をおろし、火傷の跡を隠す皆実。
p13
ツッコミより: 左の額にも火傷の跡がある(p15参照)ので、なにげなく隠す皆実。
p14
なぜか二つの湯飲みを見つめる姿が描かれているんだけど(p12最終コマも)、ここの意味はちょっとよくわからない。打越への淡い思いを表現しているのか、それとも何か思い出のある湯飲みなのか?
p14-15
皆実の記憶に、少しずつ侵入してくる10年前のフラッシュバック。この後、コマの面積が徐々に大きくなる。
p16
窓から覗く幸せそうな一家の家族構成は、以前の平野家と同一。
2005-02-22追記、ツッコミより: p49~50で東子に口笛で呼びかける七波に対比しているのではないかという説(深読みしすぎかも?)。
p19
1コマ目。皆実のちょっとがっかりしたような表情がうまい。
p21
3コマ目。このコマ割り! ワイドスクリーンで映画を観ているような気分。
p22
現在と過去が同居する、本書最大の衝撃シーン。皆実の生活に割り込む過去が極大に。川の中の遺体は写実的にせず、被爆者が描き残した絵を彷彿とさせる。
p24
2コマ目。前を歩いているのは霞かも(メガネをかけている)。それにしても、ススキを手に見立てるとは怖いことをする。
p26
最終コマ。これだけの線で、これほどまでに決意に満ちた表情を描けるなんて。こうの史代の画力がもっとも生きるシーン。
p29
「生きとってくれてありがとうな」。泣けるシーンだが、一読目と再読時ではその意味が大きく異なる。
p32
「知っている手」はもちろん、p29の打越の手。このコマはむしろ、皆実よりも打越の無念さが伝わってくる。
p33
6、7コマ目。この発想はすごいと思うんだけど、いい表現が思いつかない。
p34
(どこで読んだのか忘れたが)当時、水戸からの汽車は朝に到着していたはずなので、旭の到着直後に皆実が感じている風は夕凪後ではなく朝ではないかと考えられる。目が見えないので、時間の感覚がないという説。
p35
(あとがきによれば)意図的な空白ページ。
p36
p35を空白ページにするため(?)に加えられたカット。縁日に出掛ける前の皆実と翠か。だが場所は翠の死後に住み始めたバラック。つまりこれも、ありえなかった未来である。
2005-01-26追記、ツッコミから: 皆実と京花という説があり、こちらの方が説得力がある。ただ、京花の身長からその時期を推定すると、これも「ありえなかった未来」かも知れない。
『桜の国(一)』
これも雑誌に掲載されたそうだが、これだけ読んでもさっぱりだっただろう。(二)を含めて単一の物語。ちなみに掲載号は「8月6日号」だそうだ。よくやるなぁ。
p39
鍵を開けるのを躊躇する七波。理由はp79で明らかに。
p40
1コマ目。表札の「石川旭」(皆実の弟)から『夕凪の街』との繋がりがわかる。「平野フジミ」は皆実と旭の母(p10)。続く連絡帳の記述からも、旭に妻がいないことがわかる。
p41
仏壇の横に、広島から持ってきたミシンがちゃんとある。
p42
こうの史代は効果線を描かない。にもかかわらず、こんなに動きのある絵が描けるのは驚異だ。p20、3コマ目の皆実とか。
p44
4コマ目。この七波の目つき、こうの史代は他作品では多用するのだが、本書ではここだけ。好きなんだけどなぁ。
p45
最終コマ。「凪生」はもちろん「夕凪」から。とすると「七波」も「皆実」と韻を踏んだか。
2005-01-26追記、ツッコミから: なお、平野家の人々の名前は、すべて広島にある実在の街の名前から取られている。石川家は違うようだが。
p46
入院中の凪生と、検査続きのフジミ。この家族がいまだ原爆の影を引きずっているように読めるが……。
2005-02-22追記、こうのさん(!)からのコメントから: 「七波が野球少女なのは、親父が野球少年だったからです。親父は本当は凪生に野球をやらせたかったのだろう、と察していたから七波は余計に野球に打ち込んだのでしょう」とのこと。
p50
旭が一度も顔を見せないのはなんでだろう。追記: そういえば、フジミも顔は見せていない。ということは、(一)には「二世」だけしか登場しないという構造。
p51
東子は昨晩、将来の夢を「看護婦」に書き換えたのではないだろうか。きっかけはp45~46。特にp46、4コマ目からの東子の表情は意味深。
2005-02-22追記、ツッコミから: 「同じじゃあ」は、広島に育ったわけでもない七波からなにげに出てしまう広島弁?
『桜の国(二)』
新しい原爆文学の形。明るいオチでも原爆と平和は語れるということを証明して見せた。
p56
まだミシンが残っている。
p61
『桜の国』は、七波が東子から交通費を借りるところから物語が動き始めるのか?
p63
過去を知らなければ、フジミの死期は単なる痴呆状態である。読者は先入観を試されている。
p64
5コマ目。ヘアスタイルから、これはワンピースを作った古田。この他の人物もちゃんと特徴を引き継いでいる。
p66
最終コマ。表情、コマの位置ともにp26と酷似。皆実と七波が時を越えて繋がる。
p67
旭が最後に面会するのはもちろん打越しかいない。それがわかると、作務衣・草履姿にも意味が出てくる。ちゃんとハゲているところもポイント。
2005-02-22追記、ツッコミから: 打越が取り出した2つの湯飲みは、p12~14で皆実とお茶を飲むのに使っていたものに似ていて、皆実の形見ということかも知れない。特徴のない湯飲みなので深読みかもしれないが、このシーンの場所はまさしく2人が語り合った川べりと同じ(であろう)ことから、そう想像できる。
p70~71
過去への推移。うまい。
p75
最終コマ。これは読者への問いかけでもある。
p76
6コマ目。京ちゃんかわいいですねぇ。追記(2005-01-26): 7コマ目の間違い。
p77
2005-02-22追記、ツッコミから: 「見りゃわかっぺ!」は水戸の方言。
p78
6コマ目。たとえ医療関係者でもあの展示にはまいるだろう。気持ちはわかります。
p79
コマ割りを含め、p39のリフレイン。追記: 部屋番号まで同じ。
p82
元春伯父さんは、京花の兄。
2005-01-26追記、ツッコミから: このページの「いらぬ事を知ってしまった…」と、p98の「またいらぬ事を知ってしまった!」は、ルパン三世の石川五右衛門の決め台詞「つまらぬものを斬ってしまった」のパロディと思われる。もちろん、七波のあだ名「ゴエモン」とのひっかけ。
2005-02-22追記、野々村禎彦さんによる書評とこうのさん(!)からのコメントから: 「京花と元春の名前は元安川と京橋川から一文字ずつ採っていて、京子では東子と混同するので京花にしました」とのこと。
p83
ここもスムーズな過去への推移。
p84
フジミの手にある髪どめは、皆実の形見。
p86
原爆の陰の部分だけを引きずるのはどうよ? という作者のメッセージではないだろうか。
p89
野球少女健在。
p90
ツッコミより: ドームのある街(p67)から、別のドームのある街へ。過去から現在へ旅をする七波。そしてやはり橋の上から、過去の橋の上にいる旭と京花へのバトンタッチ(p92-93)。
p93
2005-01-26追記、ツッコミから: このシーンは平和大橋で、巻末の解説によれば題は「生きる」。一方、p22で皆実と打越がいるのは西平和大橋で題は「死ぬ」。意味深だが、解説にも「あとで知った」と書いてあり、偶然かも知れない。ただ、目次は平和大橋(生きる)なので、これはこれで救われる。
ツッコミより: このときの京花の年齢は、おそらく七波、東子と同じではないか。凪生との関係に悩む東子とのシンメトリー?
p98
ギャグを除けば最後のセリフである「お前がしあわせになんなきゃ姉ちゃんが泣くよ」。作者の一番言いたかったことが込められていると考えるべきだろう。