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ただのにっき

2003-05-14(水) [長年日記]

メルコ、「バッファロー」に社名変更

やっぱ、melco.co.jpが自分のじゃないことに耐えられなかったのかしら……と思ってアクセスしてみたら、今までmelco.co.jpを持ってた三菱電機はmitsubishielectric.co.jpに引越し中らしい。

なんだ。じゃあ別に社名変えなくてもええやん。

Wikiページの所有(4)

makiさんが引用してくれた『私的所有論』の一節に感動。「快楽」だってよ、くぅ〜。こういうなまめかしい言葉をさらりと使えるとカッコイイよなぁ。なんでもかんでも「エンターテイメント」でひとくくりにするようじゃダメだ。この一文を読めただけでも、おれにとって今回の議論は収穫だね。というわけで、『私的所有論』はウィッシュリスト行き(←そして例によって半年くらい忘れる)。

おれ的にこれで満足してしまったので(笑)、あとは落ち穂拾いと言うか、フォローを少ししてこの件はオシマイ。というか、yomoyomoさんが書いているように、『WikiWay』にはこのあたりの話はいくらでも出てくるのである。読むべし。

たむらさん: 「でもたださんも、CDの参加ミュージシャンや、映画の参加スタッフって必ずチェックすると思うのだけど」……JazzのCDを買うときはミュージシャンをチェックするけど、BaliのガムランのCDには「××村の人々」って書いてあるだけで意味のある情報はほとんどない。でも、クレジットがないからと言って、その音楽性が劣るわけではない。クレジットの価値という観点では、おれにとってフリーソフトウェアのコードはJazzのCDだけど、Wiki上の文書はガムランのCDだ。というのはどうかな?;-)

むとうさん: 「コンテンツ主体という色メガネでオレのこの日記を読んでるとしたら、理解不能なところが結構あるんじゃないかな」……いや、tDiary-users MLの議論を読んでいて、むとうさんがそういうスタンスにいることは理解していたつもり。あそこでの食い違いを「原著者主体 vs コンテンツ主体」という二元論で整理するのはちと無理がある。

一方に「自分のクレジットを絶対に保護したい」という作品があって、他方に「これは所有権を手放してもいいや」という作品があるとする。多くの人にとって、自分の作品は両者の間を適度に分布している。そのうち「手放してもいいや」に近い側の作品が、Wikiに載る。どこまでを無署名でWikiに載せられるかは、人それぞれ、その人の「閾値」があるのだろう(だから二元論ではない)。でも、むとうさんの作品はすべて「保護したい」側に偏っているように見え、それをみんなは「なんか変わってる〜」って思ったんじゃないかと。まぁ、変わってるのは別に悪いことじゃないので、それは別にかまわないんだけど。