ただのにっき
2016-07-10(日) [長年日記]
■ 山田太郎のおかげで選挙が楽しみになった
今回は落選しちゃったけどね……*1。
根が真面目なもので、選挙権を得てからは引っ越しのタイミングが悪くて逃したときを除けば一度もかかさず投票している。けど、今回の参院選ほど選挙が楽しくて、結果が気になったことはなかった。
政治なんて、いつだって議席が多い党が有利で、どんなに議論を重ねたところで最終的には多数決でコトが決まる。だから選挙では議席数のバランスをどうするかという大局的な判断をするくらしかできないと考えていたし、じっさい大きな案件ほどそういう力関係が重要だ。だから投票行為が面白かったためしはないし、自分でもよくシラけずに毎回投票所に足を運んでるものだと感心していたり。
そんな中、山田太郎の活躍を知る。事実上無所属で、これまでの自分の価値感からすれば国会ではなんの力も持たないはずの瑣末議員。それが国会での質問を通じてTPPからコミケを救い、国連から非実在青少年を守ったという。知恵と論理とコミュニケーションを駆使して成果を上げるその手法はまさにハック。「山田太郎は国会をハックしてる!!」と驚いた。こんな戦い方があるのか。
もちろん、彼が表現の自由を主要なイシューにしているからおれのアンテナにひっかかったわけで、他にも類似の手法を使って戦っている議員はこれまでもいたに違いない。自分の不見識は百も承知だ。だが、生存権の次に、場合によってはそれよりも優先して守られるべき民主主義の基本の基本である「表現の自由」のために奮闘してくれる山田太郎を、一人の表現者として応援しないわけにはいかないではないか。
たかがコミケ、たかが非実在青少年というなかれ。権力が自由を奪いにくるとき、最初に狙うのは一番弱い者の自由だ。それが成功すれば、さらにその次に弱い者が狙われる。いまは好き勝手にコードを書いてるおれたちプログラマが次の標的になるかも知れないのだ。他人事じゃない。
今回の結果は、一番弱いと思われていた連中が「自分たちは弱くないぞ」とアピールできたのが最大の成果だと思う。山田太郎の議席は守れなかったが、表現の自由を大切に考えている国民が大勢いることは示せた。
山田太郎が3年後の参院選に再挑戦するかどうかはまだわからない*2。だが、これまでの任期中に彼が国会内外に作ってきたコネクションは生きている。表現の自由を守る「てこ」として、それをうまく使う方法を考えていきたい。
それにしても悔しいなぁ。これ書いててちょっと涙が出てきた。なんといっても、国政選挙の結果に泣きたくなるほど悔しいと感じてる自分にびっくりだよ。