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ただのにっき

2015-10-05(月) [長年日記]

ファンはどこにいった? (シンデレラガールズ24話)

金曜深夜のアイドルマスター シンデレラガールズ24話、心底わくわくしながら正座待機、卯月が笑顔を取り戻すというだけの浅はかな予想を軽々と飛び越えるストーリーに号泣し、そのままの勢いで2週間封印してあったデレステの「S(mile)ING!」を、涙で滲む画面を一所懸命みつめてプレイしたらなんと一発でフルコンボできて(PROだけど)、物語の力はすごいなぁと思った次第(PROだけど)。

何度見返しても新しい発見があるものすごい情報量の作品だけど、一方で大胆な省略が随所にあって、それを補う想像力や理解力が必要なのもたしかだから、そういうのが苦手な向きがおおざっぱな感想を漏らしているのをみると残念な気分にはなる。この回も、すぐに「ファンはなにをしていたのか」という指摘がけっこう見られて、たしかにそれはおれも最初に見たときは「おや?」と思ったところ。ニュージェネ目当てで集まったファンが、ステージ上で口ごもるアイドルに「がんばれ!」の一言もかけないなんてありえないし、歌い終わるまでコールなしなのも不自然だもんな。でも、よくよくみると意図的な演出なんだよね、これ。その証拠に、ゲーム内のサウンドブースで公開されているS(mile)ING!のLIVE MIXにはちゃんとコールが入ってる*1

つまり、アニメで流れたあの「音声」は、実際のライブ会場のものではなく、誰かの心象風景なのだ。誰ってそりゃぁ卯月のだろう。

プロデューサーに導かれて一歩を踏み出し、その先に待ってる仲間たちの姿に勇気をもらって歌い始め、その歌詞と一体化するようにして「普通の女の子」が「アイドル」になる。ここまで卯月はファンの存在に(気持ち的に)気づいてない。歌い終えてファンの歓声が聞こえたその時点が「アイドル島村卯月」の復活を意味し、「ありがとうございました」は卯月がファンの存在を思い出した証。「音」ってものは主観なんだぜ、そう言ってる。そんな主観的な物語を、見た目は客観的なライブシーンでやっちまったのが今回のすごいところ。しかも、ちょいちょい挟まる幻想的なカットが「これは客観じゃないよ」って注意を喚起する親切設計。どんだけ丁寧な作りなんだ。

そしてなにより、そのきっかけを作ったのが(ファンではなく)プロデューサーとの関係で、シンデレラガールズも最後の最後でちゃんと「アイマス」に戻ってきたんだよなぁと思う。やっぱりプロデューサーが仕事してなんぼだよ、アイマスは。

15話で楓さんとファンの関係が描かれたとき、そこに居合わせたのがニュージェネの3人だったのは偶然じゃないし、今回「島村卯月が制服姿で歌った伝説のライブ」に居合わせた数百人のファンたちは、15話で泣き崩れていたあの楓ファンのような熱烈な卯月のサポーターになるだろう。ファンとの関係はあそこで描かれたから今回は省略、というか、9話ごしの伏線回収といってもいいんじゃないの。登場人物と違って視聴者は作品全体を俯瞰してみられるんだからさ、その権利は行使しないともったいない。

他にも書きたいこといっぱいあるけど、2週間後の最終話までおあずけにしよう。

Tags: idolm@ster

*1 今回のアニメはこういうメディアミックスをかなり意識して展開していて感心する。23話公開直後に発売された「私色ギフト」と「Heart Voice」の未公開だった2番の歌詞が完全に物語とリンクしていて鳥肌がたったものだ。「メディアミックスてのはこうやるんだよ」というお手本だと思う。